関係者の年表をひっくるめてみました

1953年〈昭和28年〉1月4日) 秩父宮薨去

1980年(昭和55年)11月7日 トモさんと信子さまご結婚

1984年(昭和59年)12月6日 憲仁親王、久子様とご結婚、高円宮を昭和天皇より賜る

1987年〈昭和62年〉2月3日) 高松宮薨去

1988年(昭和63年)1月1日  三笠宮崇仁親王の次男宜仁親王、昭和天皇より桂宮を賜る
               ※戦後初の独身での宮家設立

  
1989年〈昭和64年〉1月7日) 昭和天皇崩御

1990年(平成2年)6月29日 ナマズとキツネが結婚、秋篠宮家を創設。


1993年(平成5年)6月9日に「皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀」が執り行われた。


2001年(平成13年)12月1日  第一皇女の愛子内親王が誕生。
2002年(平成14年)11月21日  高円宮薨去 
 

2004年(平成16年)5月    徳仁皇太子「人格否定発言」
2004年(平成16年)5月  信子妃一過性脳虚血の発作


       同年6月  雅子皇太子妃、適応障害で、療養に入る。

          7月  信子妃、ストレス性喘息の治療のため別居、相馬家
             (元子爵・実姉の婚家)の別邸にて療養。

         9月  彬子さん、マートン・カレッジに留学

2006年(平成18年)1月  信子妃、新年の祝詞を述べるため一時帰京。

2006年(平成18年)2月7日 紀子の懐妊スクープ。
 
2006年(平成18年)8月17日~31日 皇太子ご一家、オランダへ、オランダをはじめベルギーや
                 ルクセンブルクの王族と交流。   
     
       同年8月  信子妃、2年ぶりに宮邸に戻る


       同年9月6日 ヒサ凡(♂)誕生。
       
2008年(平成20年)暮れ  信子妃、気管支喘息で、入退院を繰り返す。兄姉の別邸で長期療養

2009年(平成21年)10月1日 彬子さん、立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェローに就任

2009年(平成21年)10月  信子妃、入院していた病院から、療養のため宮内庁分庁舎に移る。


2010年(平成22年)1月  彬子さん、オックスフォード大学大学院博士課程修了、博士号取得

2012年(平成24年)4月  彬子さん、ポストドクトラルフェローの任期が切れる
             ※2014年(平成26年)12月まで上皇明仁の幼稚園時代の学友で
              銀閣寺(慈照寺)住職を務める臨済宗相国寺派管長の有馬頼底に
              依頼し、宗教法人慈照寺研修道場美術研究員に就任。


   2012年(平成24年)4月  彬子さん、心游舎を設立、翌2013年同法人の総裁に就任。
       4月1日より2013年3月まで 立命館大学衣笠総合研究機構の特別招聘准教授
       2013年4月から2014年3月まで 客員准教授。
       2012年5月より法政大学国際日本学研究所(文部科学省国際共同に基づく日本研究
       推進事業欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及
       日本観の研究)の客員所員に就任。
   
   
2012年(平成24年)6月6日) トモさん薨去
               寬仁親王が薨去する前に信子妃は何度も病院を訪れたが
               「家族の意向」で全く面会できず、喪主の意向により
               葬儀への参列も許されなかった

  ・彬子さんは

2012年6月6日に薨去した父・寬仁親王の斂葬の儀において喪主を務めた。この時は母・信子親王妃に代わって寬仁親王の姉妹(彬子女王のおば)である近衞甯子と千容子の助けや、彬子同様に若くして喪主を務めた経験がある東久邇信彦(元皇族)の励ましを受けたと、後に雑誌に寄稿[31]している。また、同手記では、寬仁の薨去をきっかけに、両親の確執から疎遠であった三笠宮本家(祖父である崇仁親王)との絆が強固になったことに、深く感謝している
2013年(平成25年)6月10日   ※宮内庁「薨去にさかのぼり、親王家を廃止する」と発表。
                 従来の慣例では信子親王妃が当主を継承することに
                 なるが、長年別居が続いており、2人の子女とも
                 同居していないため、3人は三笠宮本家に合流
                ※宮内庁寬仁親王邸の名称を「三笠宮東邸」と改称



2013年(平成25年)6月12日  彬子さん、寬仁親王の後任として日本・トルコ協会総裁に就任。
 
2013年(平成25年)11月   信子妃、公務復帰

 
 
2014年(平成26年)4月   彬子さん、京都市立芸術大学芸術資源研究センター
              特別招聘研究員&公益社団法人日本職業スキー教師協会総裁就任

同4月、京都市立芸術大学芸術資源研究センター特別招聘研究員、併せて同センター客員教授に翌年4月から就任した。
 
2015年(平成27年)4月より京都産業大学にて特別教授(日本文化研究所研究員)として勤務している[43]。
2014年(平成26年)6月8日  桂宮の薨去をもって桂宮家断絶。
               信子妃、桂宮邸に弔問に訪れる

      同年10月12日  信子妃、日本青年会議所第63回全国大会松山大会へ出席
      同年10月29日  信子妃、オランダ国王夫妻歓迎の宮中晩餐会へ出席、
      同年11月6日    信子妃園遊会10年半ぶりに出席、
2015年(平成27年)1月2日   信子妃一般参賀に出席。


2015年(平成27年)4月   彬子さん、中近東文化センター総裁に就任した。

         同4月   彬子さん、京都産業大学にて特別教授(日本文化研究所研究員)
                                       「赤と青のガウン」出版
 
2016年〈平成28年〉10月27日) 三笠宮薨去


2016年(平成28年)     百合子妃、三笠宮家の当主になる、93歳

2017年(平成29年)3月9日付 三笠宮記念財団がトルコ政府に認可される
2018年(平成30年)1月  彬子さん、総裁に就任


2019年(平成31年)4月30日、第125代天皇・アキヒト退位。

 

2019年(令和元年)5月1日  徳仁皇太子第126代天皇に即位、雅子様立后。

2019年(令和元年)    信子妃、ライフワーク日本童謡学会の名誉総裁に就任、
             同団体を通じて被災地支援活動にも積極的に参画

2019年(令和元年)5月10日  彬子さん、日本ラグビーフットボール協会名誉総裁に就任

2020年(令和2年)4月  彬子さん、千葉工業大学特別教授および千葉工業大学地球学研究
             センター主席研究員(非常勤)に就任

2022年(令和4年)11月19日 信子妃、乳がん手術。

2022年(令和4年)3月1日  彬子さん、日英協会名誉総裁に就任(寛仁親王薨去後は空席)。

2024年(令和6年)4月3日  『赤と青のガウン』文庫化ベストセラーに
       同9月16日   テレビ朝日のトーク番組『徹子の部屋』に出演。
       同10月29日  千葉工業大学名誉博士を受贈

2024年〈令和6年〉11月15日 百合子妃薨去 

 ・彬子さんは

普段のマスコミとの会見は日本国憲法上の理由から伯父の政治家である麻生太郎の話を表立って話すことはないが、祖母にあたる崇仁親王妃百合子が高齢となり体調が憂慮された際には、その様子を本人の代わりにメディアによく伝えていた


          同12月 彬子さん、第10回ミヤボン2024 大賞を受賞


2025年(令和7年)4月21日  彬子さん、『彬子女王のオールナイトニッポンPremium』に出演
         同9月、  彬子さん、トルコを訪問

       同9月30日付  彬子さん、三笠宮家の当主となる。

              信子妃は、「三笠宮寛仁親王妃家」として独立した生計を営む
 


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・ トモさんと信子様の別居の理由
  偽ってアルコール中毒の治療を受けさせられたこと

・トモさんの〝男系男子〟 〝女系反対阻止〟

平成時代に入り憲法上の制約もあり、天皇および皇族が女系天皇の是非について自らの意見を公にする機会は限られている。寬仁親王は自身が会長を務める福祉団体「柏朋会」(はくほうかい)の会報『ざ・とど』で、「あくまで公なものではない私的な見解」と前置きした上で、女系天皇についての見解を表明した。この機関紙は市販されていない。この中で、女系天皇に明確に反対し、旧皇族の皇籍復帰などを求めた。
 
寬仁親王は、「(2000年以上の)歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と女系天皇を容認する意見を批判し、また「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張した。寬仁親王は男系継承を維持するための方法として
 
1947年(昭和22年)に皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。
女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れるようにし、その人物に皇位継承権を与える。
廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀を旧皇族に継承してもらい、宮家を再興する。
昔のように「側室」(一夫多妻制)の制度を復活させる。自分(寬仁親王)としては大賛成だが、国内外共に今の世相からは少々実現性が乏しいと思うとも述べた。
を挙げた。


 

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彬子さんの就職を助けた一人はアキヒトさんだったんだね、びっくり。
トモさんの男系男子の考え方がそのまま彬子さんに行っているだろうから、これからも、アキヒト・ミテコ路線でいくのかな?
でも養子案は「あの秋篠が皇統を持っていくのはイヤだなぁ」という男系男子派の一部から出ているのではなかろうか?
やはり、生まれながらにやんごとなき身分で来たものを大事にしたい、マコどんの結婚から、潮流が変わったか?
三笠宮家の葬式や法事に、信子さまは強硬に排除するくせに、麻生夫妻は招くってのもどうかと思っていたけど、彬子さまの方から〝おじさま〟に擦り寄っていたのね。
後ろの方でパイプ椅子に座らせられてた元総理の写真を見て、やっぱり利用価値があるから呼んだのだろうなぁって思っていたけど。
まぁ、とにかく金銭的に独立させておけば、喧嘩にはならないかも。
ただ、トモさんの名誉職をいいとこだけまず取ってしまった彬子さんはともかく、瑶子さんはちょっとかわいそうかなって思った。

Comment

判りやすく丁寧にまとめてくださり、ありがとうございます
  • 手白香
  • 2026-07-19 16:16
  • edit
まとめてくださった年表をじっくり拝見しているうちに、溜息が出てしまいました。

>彬子さんの就職を助けた一人はアキヒトさんだったんだね、びっくり。

京都でのご活動上で有馬氏と関わるのは必然性があると思い、“これは仕方ないこと”だと思ってきた。
篠原動画に出て来る「白足袋族」とやらも“ちょっと妄想キツすぎないか?”と、疑問でしたし。

何しろ私、2012年5月のこの記事の内容を、素直に信じていましたから。

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電話一本で就職決定の三笠宮彬子さま「激安給料で市バス通勤」
記事投稿日:2012/05/01 00:00 最終更新日:2022/11/02 16:11

https://jisin.jp/koushitsu/1607391/

『女性宮家創設』論議にあたり、未婚の女性皇族8人がいま、クローズアップされている。歴代天皇の子供と孫を”内親王”、それより遠い関係の方を”女王”と呼ぶ。宮家当主の範囲を内親王までにするのか、それとも女王までにするのかは、現在も検討中だ。

”女王”の称号を持つ三笠宮寛仁親王の長女・彬子さま(30)は、今年4月から立命館大学の特別招聘准教授に就任されると同時に、慈照寺(銀閣寺)研修道場の美術研究員として働き始められた。

お仕事は室町時代中期の文化『東山文化』の研究と研修道場の講師。実はこの仕事、彬子さまがご自身で”就職活動”されて決まったものだというのだ。天皇陛下のご学友で三笠宮寛仁さまや信子さまとも長年の交流がある、臨済宗相国寺派管長で金閣寺や銀閣寺などの住職も務める有馬頼底さんはこう語る。

「彬子さまから私のところにお電話があり、『銀閣寺研修道場で働きたいのですが……』と。私は『特別の給料は出せへんで』と申し上げたのですが、『それで結構です』とおっしゃっていただきました」

その生活ぶりは至って質素なものだという彬子さま。銀閣寺には、なんと市バスで通勤されているそうだ。

「信子さまは、お嬢さん方に”贅沢をさせない”と言う教育方針で、『タクシーには絶対乗ってはいけません』と常々おっしゃっていました。また、銀閣寺のスタッフからは『彬子さんのほうから溶け込んでくださるので、(職場は)とてもいい雰囲気です』と聞いていますよ」(有馬さん)

ちなみに、京都の大学関係者によれば「美術研究員で、勤務1年目ということであれば、給与は20万円台の前半ぐらいではないでしょうか」とのこと。オックスフォード大学の博士号をお持ちの彬子さまの経歴からすれば、”激安”な給料といえるのではないだろうか。

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寛仁親王薨去より、一月ちょっと前ぐらいの記事。

有馬氏の口を借りてですけど、「彬子様ご自身のお力だけで就職活動に奔走」みたいなイメージを持ってしまった読者も多いのでは?
(“公募にチャレンジした結果、東大総合研究博物館の特任研究員に就職”と大々的に報道されたマコ丼。後に職場を見学したミテコが“マコのために良い職場を用意してくれてありがとう”と言ったことで、「公募で就職」が嘘だとばれた。このマコ丼の自爆エピソードと少し似ている感じ?)

このミテコ自身記事が書かれた当時は野田政権下で、女性宮家が取り沙汰され始めた頃。
但し、野田内閣が批判の多い「内親王限定女性宮家案の論点整理」を出してきたのは、2012年10月5日になってから。

http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201210050157.html

>野田政権は5日午前、皇室典範の見直しに向けた論点整理を発表した。女性皇族が結婚後も皇籍にとどまる「女性宮家」創設案と、結婚して皇籍を離れても新たな称号を使うなどして皇室活動を続ける2案を併記。制度改正を最小限にとどめるため、いずれも対象を天皇の子や孫にあたる「内親王」に限定した。

女王方の残留は認めず、夫と子は皇族扱いせず成人した子供は追い出すなど、先日可決された改正案よりも酷い案だったかも。

この時に女王殿下方を排除した案が出たことで、寛仁親王家も高円宮家も戸惑ったことでしょう。

高円宮家は三人の女王方のうち下のお二方を先に結婚させた。
将来的に宮家が残る可能性まで視野に入れ、長女承子様は残留されていますけどね。

でも、家族関係が壊れていた寛仁親王家では、残念ながら高円宮家のようにスマートな対処はできなかった。

寛仁親王薨去後の雑誌への寄稿で、「自らの正当性」を滔滔と述べた彬子様。
彬子様にしてみれば、“女王である私が訴えたことだから、読者は私の言い分に理があると思うだろう”と、高をくくっておられたのかもし知れませんね。

>ただ、トモさんの名誉職をいいとこだけまず取ってしまった彬子さんはともかく、瑶子さんはちょっとかわいそうかなって思った。

最近は彬子様とセットで誹謗中傷されていますからね、瑶子様。

特に自動車関係のご活動がやり玉に挙がっていますけど、瑶子様はヘーセー時代からずっと、自動車関係の団体のご活動を続けておられる。
自動車業界の大会などでのスピーチもユーモアがあって、実に素敵です。

他にも感音性難聴をカミングアウトされ、同じ症状を持つ方々との交流や啓発活動なども、積極的に行っておられます。

時間はかかりそうだけど、瑶子様だけでも、信子様と和解できないものだろうか、などと時々考えてしまう私。
(甘いかな?)
Re:判りやすく丁寧にまとめてくださり、ありがとうございます
  • 1/3管理人 〔管理人〕  
  • 2026-07-20 18:15
ざっと羅列しただけで読みにくかったと思います。
有難うございます。
私が仰天したのは、トモさんが亡くなったあとすぐの信子さまへの仕打ち(と言って良いかもしれませんが)ですね。

>寬仁親王が薨去する前に信子妃は何度も病院を訪れたが「家族の意向」で全く面会できず、喪主の意向により葬儀への参列も許されなかった

喪主と言うのは彬子さんですよね。
当時の記事では「トモさんの遺言」とのことでしたが、普通なら、通夜にでも内々に対面させるくらいの常識をこのお嬢さんが持っていなかったのが残念です。

>※宮内庁「薨去にさかのぼり、親王家を廃止する」と発表。                 従来の慣例では信子親王妃が当主を継承することになるが、長年別居が続いており、2人の子女とも同居していないため、3人は三笠宮本家に合流                ※宮内庁寬仁親王邸の名称を「三笠宮東邸」と改称

うちの姑は明治生まれでしたので、民主主義の世の中でも家父長制の信奉者で、いろいろおしえられましたが、長男は特別扱いはもちろん長男の嫁も別格の扱いでしたよ。
長男嫁は、「奥」の統括者だからです。
正月の御慶でも兄の代わりに対応したり(普段は仕事の関係で兄夫婦は地方にいるのですが)、上にあがってもらう客の時は、兄嫁は本座敷に入って挨拶します。私は末子の嫁なので台所仕事とお運びで、座敷の外の廊下まで酒肴を運びます。
兄嫁は、兄と一緒に並んでお客に正対していますので、障子を開けて部屋の中へお膳を入れるのは、姑(後家さんだし一応隠居だし)の役目です。だから部屋の端っこに控えています。
信子妃は結婚で皇統譜に記載されている皇族で、相当なお家から嫁いでこられたお方、いくら別居しているからといっても、公表されている別居理由が「病気療養中」ですので、遡って「親王家を廃止」して三笠本家に合流というのは乱暴、というか(姑の話)嫁の実家に力があるところだと、嫁を病気にして治しもしないということで問題になることもあるとか。
だから「三笠宮東邸」という名前にするのは仕方ないにしても、後に残った信子妃の意見が反映されていてもおかしくはないのですが、これだと嫌がらせとしか言えないのでは?
この時ですよね、信子妃が自分の私物を取りに戻ったところ、鍵が付け替えられて入れなかったので、鍵屋を呼んで壊して入ったと週刊誌に書かれたのは。
でも、普通の賃貸でもこういうことはやりませんね。
信子妃の荷物は正当に受け渡しをするべきですし。
それから、信子妃と女王2人、本家に合流という事も、皇族費の扱いはそれぞれ個人に対して出ているお金ですから、その辺はきちんとするべきですが、信子妃は宮内庁分庁舎にお住まいにも関わらず、月10万円ほどのお金しか回してもらえなかったという記事を読んだことがあります。
おそらく皇族費はまとめて三笠宮家の会計に振り込まれたのだと想像できます。
だから、今回親王妃家を作って別会計にしたのも、名前が名前なので誤解されがちですが、実態がもとに戻ったということでしょうか。
今、彬子当主のもとエライ目にあっているのは瑶子女王かも。
何かご自分のことでお金を出そうとしても、たぶん彬子さんの決裁がないと会計係はだしてくれないかも。
そして当主に言いつけられてその度に「皇族の自覚が足りない」とお姉さんに説教されていそう。
今年、キコさんの身分違い長袖ドレスもシャクにさわりましたけど、今までのものとは違うティアラ(梨本宮伊都子さまのですって?)をつけて敬宮さまのうしろを歩いている彬子さんのドヤ顔にびっくりしました。

>排除した案が出たことで、寛仁親王家も高円宮家も戸惑ったことでしょう。

>寛仁親王薨去後の雑誌への寄稿で、「自らの正当性」を滔滔と述べた彬子様。
>彬子様にしてみれば、“女王である私が訴えたことだから、読者は私の言い分に理があると思うだろう”と、高をくくっておられたのかもし知れませんね。

トモさんは、男系男子だけではなく、骨の髄まで〝貴族趣味〟でしたからね、彬子さんもそれを引き継いでいそうです。
でも何より外交一族で、外国との繋がりや手腕の蓄積が信子妃からアドバイスを受けられないのはお気の毒と言えばお気の毒だと思います。
今のままだと、ナマズやキコより扱いがちょっとマシ程度に納まってしまうのではないかと、久子さまのような交流を通してVIPとの親密な関係が築いていけるかどうか。


>時間はかかりそうだけど、瑶子様だけでも、信子様と和解できないものだろうか、などと時々考えてしまう私。
>(甘いかな?)

信子さまは、「天皇をお支えする」ということへ舵を切られたようにみえます。
信子さまが晩餐会再デビューされたのは、オランダ国王夫妻が「雅子を出さないならわたしたちも出ない」と言われた時ですよね。
あの時、なぜか皿様は手も足も出なかったみたいなので、宮内庁や外務省での潮目が変わったのでしょう。
トモさんと信子妃とでは外交スタイルが全然違うみたいで、信子さまはおそらく雅子皇后とお考えが似ているのではないかと思います。
香淳皇后が欧州へ行かれた時、日本を出たことのない香淳さまのために、秩父宮妃や喜久子妃などがあらゆる人脈を使って内々のサポートされたとか、貴子さんが先行してヨーロッパへ飛び、根回しをしたとか言われていますよね。

敬宮さまに対する期待が自分の娘以上にあるのではないかと。

結婚して宮号を天皇から賜るのですが、桂宮様は独身ながら宮号を賜りました、昭和天皇からです。
今回、皇室経済法によって信子妃の親王妃家が認められたのは、やはり今上陛下のご決裁があるからだろうと思いますが、考えてみると、平成は、みごとに「病んでいる」人に冷たいですね。

でもね、信子さまはやっぱり母親ですし、両陛下は皇族内でも決して弱っている人困っている人を見過ごしにはなさいませんから、きっといつかわかるときが来ますよ。

長々とすみませんでした。
Re:Re:判りやすく丁寧にまとめてくださり、ありがとうございます
  • 手白香
  • 2026-07-20 22:31
  • edit
>トモさんと信子妃とでは外交スタイルが全然違うみたいで、信子さまはおそらく雅子皇后とお考えが似ているのではないかと思います。
>香淳皇后が欧州へ行かれた時、日本を出たことのない香淳さまのために、秩父宮妃や喜久子妃などがあらゆる人脈を使って内々のサポートされたとか、貴子さんが先行してヨーロッパへ飛び、根回しをしたとか言われていますよね。

彬子様がマートンカレッジにご留学中、エリザベス女王からお茶会のご招待がありましたよね。
彬子様のベストセラー本によりますと、こんな風に書かれています。

https://shuchi.php.co.jp/article/10950

>さて、ジェシカに紹介されたもう一人の有名人は誰かというと、エリザベス女王陛下である。

>ジェシカは女王陛下のご側近の一人と親交があり、折々に、日本のプリンセスがどうしているかをその方に報告してくださっていたようだ。そんなことから女王陛下が一度私に会ってあげようと思ってくださったらしい。

>それは2005年夏。在英日本国大使館に女王陛下からバッキンガム宮殿へのお招きの連絡が来た。お話が来たときは、ほんとうに「えっ」といったあと、しばらく言葉が続かなかった。

(中略)

>たいへん失礼ながら、お茶をお入れくださったそのお姿が、私の祖母と重なり、少しだけ緊張がほぐれた。
>約1時間に及ぶ女王陛下と二人きりのアフタヌーン・ティー。何をお話ししたかはぼんやりとした記憶しかない。でも、女王陛下がほんとうにお話し上手で、緊張している私のためにいろいろな楽しいお話をしてくださったこと、そしてお孫さまのウィリアム王子やヘンリー王子のお話をなさるときは、ほんとうに柔和なおばあちゃまのお顔になられることがとても印象に残っている。

引用部分を読む限り、読者には“ジェシカさん(オックスフォード大学の指導教授)のご縁によって女王陛下から彬子様へのアフタヌーンティーご招待が実現した”というふうに、受け取れます。

でも、実のところは「彬子様の母方の縁も相当あったのでは?」との説が、結構囁かれていますよね。

とある方のXのポストより。
>信子さまの祖父は吉田茂元首相。吉田が駐英大使だった頃、娘麻生和子氏は即位前のエリザベス女王とも親交が厚かった。その縁で和子氏は秩父宮同妃両殿下の訪英の正式随行員を何度も務めた。彬子女王が英国留学時にエリザベス女王にお茶に招かれたのは麻生家の力が大きい

確かに「吉田茂→麻生和子→信子様」と受け継がれた英国との繋がりは、彬子様の留学時の信用にも相当貢献したと推測できます。

令和皇室における宮家の妃殿下方のうち、人脈を十二分に生かして欧州王室との絆を保っておられる方は、久子様。
本当は信子様も、ご家庭内で酷い目に遭われて御体調を崩されることがなければ、(主に英国を中心に)人脈を生かしたご活動をもっと本格的になさっていたと思う。

>考えてみると、平成は、みごとに「病んでいる」人に冷たいですね。

結局信子様はヘーセー時代、舅姑に海外訪問を極端に制限されてきた皇后陛下(当時は皇太子妃殿下)と、似たような境遇に置かれていらしたとも言えますね。
(信子様も、身内から酷い目に遭ってしまわれた)

ジューコーが生前退位し鯰がコーシを僭称したことで、唯一の皇女殿下であらせられる敬宮様がキコの後ろを歩かされるのを見るのは、非常に辛い。

でも、あの爺婆が退位したことで、ヘーセーの暗黒面がどんどん表面化し、皇室無関心層にすら知られるようになりました。
その点は、良かったと思います。
最近になって、唐突に出てきた情報
  • 手白香
  • 2026-07-21 01:56
  • edit
7月15日に配信された、ミテコ自身の記事。

隠居婆サンの美談記事なんだろうけど、記事で触れている「スーチー氏宛ての書簡」が送られたのは、いつ頃の話なのか?
(本文を読んでみたら、瑶子様のミャンマー訪問時と関連があるような・・・)

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美智子さまからの親愛書簡内容をキャッチ 行方不明のミャンマー民主化指導者アウンサンスーチー氏との“知られざる絆”
7/15(水) 11:00配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/87927c2114b33eb609d37e2923086cd66af88303

>2019年10月の、天皇陛下の即位に伴う「饗宴の儀」の際、瑶子さまは来日していたスーチー氏と懇談された。ザニーさんによれば、当時の在ミャンマー日本大使の後押しもあり、その翌日にも会談があったという。

>ザニーさんの“皇族を祖国にお連れしたい”という夢が実現したのはその2カ月後、2019年12月のことだった。ザニーさんが「身にあまる役目」だったと述懐するのは、瑶子さまがミャンマーのスーチー氏の私邸をご訪問する際に託された大役だった。それは美智子さまの書簡を、スーチー氏の前でミャンマー語で朗読するというものだった。

>「朗読は、同行する日本大使か外交官が担う役割だったそうですが、当時の日本とミャンマー両国の外交関係、スーチー氏との交流、そして瑶子さまと私との関係性を踏まえ、特別な役割として託されました」

>その美智子さまの書簡の概要は、次のようなものだったという。

>《私は天皇陛下と共に、これまで多くの国々を訪問してまいりました。訪れた国々では、必ず一人でも友人をつくり、その後もその方々と交流を続けてまいりました。しかし、訪問の願いが叶わなかった国がありました。それがビルマでした。

>今回、皇族として初めて瑶子女王がビルマの地を訪問することを、私は心から嬉しく思っております。私の想いを乗せて、瑶子女王がビルマの地で国民の皆様と心を通わせることを願っております。何より、瑶子女王がビルマに友人を持つことができたことを、大変嬉しく思います》

>ザニーさんが続ける。

>「この言葉は単なる外交文書ではなく、美智子さまが長い年月をかけて願ってきた“国と国、人と人との友情”への想いを伝える内容でした。そして、美智子さまは、ミャンマーではなく、戦前から日本人に親しまれているビルマと表現されたところにも、意味深いお心遣いを感じました。

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記事本文中に出て来る「ザニーさん」とは、ミャンマーから亡命し、パリを拠点に活動するデザイナー。
「ザニーさんと瑶子様との関係性」とは、2019年の今上陛下の即位関連行事にて、瑶子さまのローブ・デコルテやローブ・モンタントなどをザニーさんが担当したことだそうです。

それにしても、ミテコの書簡の内容とされるものが、色々と変。
ザニーさんによる「ミテコ様が『ビルマ』と書いたのは戦前から日本人に親しまれている表現だから」というフォローも、何だか無理がある感じ。
更に“アレ?”と思ったことは、書簡の概要の冒頭に「私は天皇陛下と共に、これまで多くの国々を訪問してまいりました」とあること。
瑶子様がミャンマー訪問の際にミテコからこの書簡を託されたとしても、時代は既に令和。
「天皇陛下」とは当然、今上陛下(ミテコ様のご長男でもある)のことを指すはずです。
でも、このミテコ書簡では、退位してジョーコーになった方のことを「天皇陛下」と書いてしまった模様ですな。

何だか、色々と突っ込み所満載のミテコ書簡でしたが、なぜ7年も経った今になって、ミテコ自身は唐突に記事にしたのかな?
(ミテコの性格的に、“アテクシの手紙を瑶子サンに託したの”と、当時から大々的に報道させそうですよね)

「ミャンマー 瑶子様」で検索すると、出て来るのは(上記のミテコ自身の記事を除いて)大多数が、当時の新聞やテレビニュースの記事です。

そうした記事をいくつか読みましたが、“ミテコ様の書簡が云々”などという記述は、全く見当たりません。

当時のテレ朝ニュースの記事を、貼っておきますね。

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2019年12月3日 19:59
瑶子さま、ミャンマー訪問へ スー・チー氏から招待

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000170754.html

宮内庁は故寛仁さまの次女・瑶子さまがミャンマーを私的に訪問されると発表しました。即位の礼の場で直接、招待があったということです。
 瑶子さまは11日から17日までの日程でミャンマーを私的に訪問し、アウン・サン・スー・チー国家顧問との懇談や戦没者慰霊碑への供花、在留邦人との面会などが予定されています。10月22日夜の「饗宴(きょうえん)の儀」で瑶子さまがスー・チー氏と通訳を介して懇談された際に招待があり、実現に至りました。瑶子さまはミャンマーの仏教文化に興味を持っていて、仏教遺跡群も視察される予定です。宮内庁によりますと、ミャンマーは1年を通して暑く、12月が最も訪問しやすい気候だということです。瑶子さまの外国訪問は今回で3回目です。

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>10月22日夜の「饗宴(きょうえん)の儀」で瑶子さまがスー・チー氏と通訳を介して懇談された際に招待があり、実現に至りました。瑶子さまはミャンマーの仏教文化に興味を持っていて、仏教遺跡群も視察される予定です。

別の報道でも、「お二人でお話がはずんだ」というようなことが伝えられていたような記憶があります。
話題の引き出しを結構持ってらっしゃる瑶子様ですから、例え通訳を介してであっても、お話が盛り上がったのでしょうね。

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7年前の報道では、瑶子様がミャンマーに招待された経緯が、素直に伝えられていた。

それがなぜか最近になって、隠居婆サン御用達の週刊誌で「“まさに初耳”という感じの作為的エピソード」が加えられ、当時の自然な報道が魔改造されたかのような感じ。

色々とモヤってしまいます。
敬宮さまという凄み
しなやかな静寂を保つ愛子さまの“美しい所作”の源泉…「途切れない集中力」「相手への敬意」「傾聴する姿勢」が生み出す“ほかの皇族方との違い”
https://news.yahoo.co.jp/articles/5fdf8a481cd223ca8a593ea06bff8b868d32d614

人間味あふれる感性という点では雅子皇后も魅力的な方だが、雅子皇后の場合は繊細さとかにも繋がり、否定的な輩からは弱さとして非難されることもある。
楽しそうに笑い、心震えると涙を流すというものである。
でも敬宮さまの感受性の豊かさは、その魅力的な母君ともまた一線を画すのであろう。
泰然としていながら共感力が高いということであろうか。真の意味での「おほどか」さなのか。

この魅力的な御方を、戦後の昭和天皇の歩みから続く象徴天皇としてのたたずまいの結晶であるような方を
女性だからといって排除しようとする男系原理主義者のなんとつまらない、情けないことだろうか。

皇室の底力が、もしあるのだとすれば、男子を産むことではない。
そんなつまらないことではない。
敬宮さまのような御方を生み出す力、このような方が直系長子としてお生まれになる。そこにこそ底力はあるのではないか。
男系男子路線を歓迎
「天皇陛下とは正反対のお考え?」秋篠宮家が皇室典範改正に「歓迎の意」を示している背景
https://gendai.media/articles/-/169256

はっきり書くのを遠慮してるけど、要するに男女問わぬ直系長子継承の方に国民の声が流れていってしまっては、自分や悠仁さまの即位の可能性なくなっちゃうからね。
懐妊6週で体をはって2006年の皇室典範改正の審議を止めた意味もなくなるからね。

男系男子路線、愛子天皇阻止路線を一番歓迎しているのは秋篠宮家でしょう。
Re:男系男子路線を歓迎
  • 1/3管理人 〔管理人〕  
  • 2026-07-22 17:43
>「天皇陛下とは正反対のお考え?」秋篠宮家が皇室典範改正に「歓迎の意」を示している背景
>https://gendai.media/articles/-/169256
>
>はっきり書くのを遠慮してるけど、要するに男女問わぬ直系長子継承の方に国民の声が流れていってしまっては、自分や悠仁さまの即位の可能性なくなっちゃうからね。
>懐妊6週で体をはって2006年の皇室典範改正の審議を止めた意味もなくなるからね。

野田政権の時も、女性宮家は「内親王限定」で、三笠宮家、高円宮家の女王方は救済されなかったです。
安倍政権に変わって、民主の女性宮家案は破棄されました。
ナマズのコーシと引き換えみたいでしたが、でもその後コーシ一家のポンコツぶりがわかっちゃったので、国民の関心が女性天皇・女系天皇容認から一気に「愛子天皇」にかわっちゃいましたね。
外国からのご招待が「日本の然るべき地位の方」から「雅子様」「愛子様」と名指しになっちゃったのと同じ具合ですよねw
「ハッキリ言ってやらないとわからない」から。
その間に、秋篠一家のポンコツぶりが
>
>男系男子路線、愛子天皇阻止路線を一番歓迎しているのは秋篠宮家でしょう。
男系男子じゃないと秋篠宮家の即位の目はない
悠仁さままで決まっているとしつつ、女性宮家を作って、秋篠宮家トクトクプラン拡大というのは、制度の論理がまったくわかっていなかった、前天皇前皇后の浅はかなところで
秋篠宮家の即位=男系男子を2050年ぐらいまで死守、ですからね。

男女問わぬ直系長子継承になったら、三笠宮や高円宮の女王さまは宮家でなく、にならざるを得ないと思います。ヨーロッパの王室を見ても、直系長子継承になった国は、直系以外は徐々に王位継承からは外し、王族を縮小させるもののようですから。
男系男子は、保険としての宮家をたくさん作っておかないと、なのでスリムにしにくいみたいですね。
現在も旧宮家が云々になる。

直系長子継承になれば、秋篠宮家も傍系だからそのうち皇族じゃなくなるわけなので、そのあたりも万々歳なんですが。
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