今朝6時と7時、NHKニュースで地味に報道されてましたけど、ご存じの方いらっしゃいます?
私、今日退院日だったんで、ゆっくりベッドに寝っ転がりながらテレビ見てたんですよ。
どっちもご丁寧に
竹田恒泰「令和書籍」不採用
って、付け加えてました。
教科書出してたんですね、知らなかった。
でも不採用になってよろしゅうござんした。
あの程度の歴史認識の浅さで「教科書」なんか出されたら、未来の子どもたちの教育はどうなりますことやら。
それとも、アキシノ皇統に移すための下地にするためなんですかね?
図々しい人ですね、採用されなくて良かったですよ。
今上陛下のゼミの教官でいらした児玉幸多先生のウィキからの拾いものですが。
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児玉幸多
1948年より学習院中等科長を務める。1949年に新制大学として学習院大学が開校すると、1950年3月より学習院大学教授を兼務した。 同年5月26日、昭和天皇と香淳皇后に「桜町天皇の御事蹟」と題する進講を行う[7]。また、1951年(昭和25年)5月から9月にかけて、皇居にて催された科学委員会合に出席。織田信長、豊臣秀吉について進講した[8]。 1961年3月、学位論文『近世宿駅制度の研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得[2][9]。1961年に、文学部史学科が設置されると、その主任も務めた[10]。
※桜町天皇は聖徳太子の再来と言われたお方です。第117代後桜町天皇は、桜町天皇の第二皇女智子内親王でございます。
1962年、学習院女子短期大学学長に就任。1973年からは学習院大学学長を務めた。1980年3月に学習院大学を定年退職し、名誉教授となった。その後は、品川歴史館館長、江戸東京博物館初代館長(1993年 - 1996年)をつとめた[6]。
2001年12月の敬宮愛子内親王生誕の「命名の儀」に先立ち、新宮の文運と健康を願って行われる皇室儀式「浴湯(よくとう)の儀」に91歳の高齢で、束帯姿の「読書役(とくしょやく)」として臨んだ。儀式は12月7日午前宮内庁病院内で行われ、新宮が浴殿に参入すると、鳴弦の中『日本書紀』の一節を朗読した[11]。
学界では、1996年、日本学士院会員に選出された[12]。1987年より日本歴史学会会長。また、地方史研究協議会会長、交通史研究会会長も務めた[6]。2007年、多臓器不全のため東京都武蔵野市で死去。
受賞・栄典
1996年:『馬の文化叢書』でJRA賞馬事文化賞を受賞。
1997年:長野県更埴市[13]名誉市民。
研究内容・業績
近世史研究
1947年に初の著書となる『江戸時代の農民生活』以降、近世史のなかでも近世の「農村」や「交通」に着目して研究を進め、交通史や農村史の分野の研究を進めた。学習院大学で教鞭を執ったことから昭和天皇や明仁上皇などに日本史を講義するなど、皇室とも深い関わりを持った。近世史を専攻した今上天皇徳仁はゼミの教え子であった。
教科書ならびに一般普及書
日本書籍株式会社の中学校用歴史教科書の執筆者をつとめていた。また、青少年のための学習漫画『少年少女日本の歴史』(小学館刊行)などの執筆・監修者であったことで一般には良く知られている。くずし字解読辞典など工具書の執筆も手掛けた。
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こう言っては何ですが、女性天皇についての研究が学会でも様々発表されているのに、〝皇統は神武天皇からずっと男系男子で繋いで来た、女性天皇はただの中継ぎであり、女性天皇に一度してしまったら、次は必ず女系天皇、別の王朝になるから絶対ダメです〟と根拠も示さずyoutubeやテレビでわめきまくる人が書く教科書なんて将来が心配じゃないですか?
あの方、20数年前くらいかしらね、バックパッカーとして世界中を歩き回り、死ぬかと思うほどの目に遭った、ってウェブサイト作って自慢して、ついでに勾玉売りなんかしてましたよ。
数年前までは見られたけど、男系男子派として保守で売り出した頃から見られなくなりましたけどね。
肩書きが全てとはもうしませんが、やっぱり教科書は、その分野の第一人者に書いていただきたいですよ。