①
>特に2011年3月の東日本大震災以降、むしろ「平成流」が完全に定着します。「私」を犠牲にして国民のために全身全霊をささげる天皇と皇后の姿が、多くの人に感銘を与えました。退位が報じられた後の2016年8月のビデオメッセージでは、天皇が自ら「象徴の務めとは何か」を定義します。私的なことよりも公的なことを優先させ、国民のために尽くすことが象徴としての役割だと。これが「平成流」の一つの完成形だったと思います。
②
>昭和から平成になったときも、やはり昭和のスタイルが理想化されます。昭和天皇という偉大なカリスマがいて、皇后は常に天皇の後ろに控えていなければならなかった。ところが平成になると、皇后が宮中で力を持ち過ぎていると週刊誌や月刊誌が批判を始める。SNSはないので、もっぱら雑誌を通じてのバッシングです。皇后は誕生日に倒れ、声が出なくなりますが、その後が大正と違います。声を取り戻してからも天皇とともに福祉施設や被災地への訪問を続け、「平成流」を定着させた。平成末期には完全にそれが一つのスタイルになり、著しく倫理性が高まります。
③
>平成から令和になったときも、まだ平成の面影が色濃く残っていたことに加え、コロナ禍で新天皇、皇后が思うように活動できず、いわば大きな空白が生じてしまいました。