今年の幕開けは大変でございましたね。
1月1日に能登地方の大地震、1月2日には、支援に向う海保の飛行機とJAL機が接触、炎上いたしました。
何ということ、言葉が出ませんでした。
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皆さま、遅ればせながら新年の御挨拶申し上げます。
娘の友人が能登地方にいるのですが、彼女のSNSでは、もう2日にはボランティア活動を始めたようです。
日赤から第一番に医薬品が運び込まれたというニュースもありました。
その後「そろそろ言い出すだろう」と思っていたとおり、旧帝大の流れをくむ国立大学の准教授やら、雅子皇后憎しに凝り固まった官僚崩れやらが、天皇皇后両陛下の被災地訪問についてやいのやいのと言い始めた頃、山本太郎が大物政治家面で被災地入りをし、
じゃま!
とはっきり拒否され、カレーだけ食べて帰ってきましたw
地震からまだ1ヶ月経っておりませんが、阪神淡路、東日本大震災、熊本地震などを経て、救援の初動活動は、かなり組織化され効率よく回っているように思います。
もちろん、ライフラインの復旧は遅々として進まず、二次避難も始まっています。
現地では足りないものだらけでしょう。
しかし、これが最後ではない地震大国日本でありますから、今後に活かすための努力も継続して行われていくでしょう。
わが町内も、以前とは違った「もしもの時のお助け組織作り」が始まっています。
さて、そんな中、敬宮さまがこの春大学ご卒業後、日本赤十字社にご就職されることが発表になりました。
このまま学業を続けられ、敬宮さまのたぐいまれな頭脳が、さらに洗練されていくことを疑いもしませんでしたので、(またキコが「あたいたちは大学院卒、博士だもんねー、愛子、低学歴~~~~、悠仁は絶対東大へ入れるんだからぁ!」とわめくかと思うと勝手にゲンナリ)少し天皇陛下をお恨み申し上げました。
あまりに国民に気を使いすぎではないかと。
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ニュースを2つ3つ聞くことで、敬宮さまの熱意と申しますか、その志をよく知ることが出来、令和の天皇家の総意がわかったように思います。
つまりですね、令和の天皇家というのは、名実ともに「実践主義」であられる、ということです。
つまらない学歴主義をカネを使って次の世代にまで続けさせようと無駄な努力をしている
インラィン一家
は、これからますます国民から反発を受けるであろうと思いますね。
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令和の天皇家が「実践主義」だということは、宮内庁のショボいHPからでもうかがうことが出来ます。
ひこにゃんや八幡が大好きな「国民と視線を合わせるために跪く天皇皇后」、いわゆる〝平成流を今上陛下にも
受け継げ、受け継げ
とうるさいのですがw
どういうものだったかというと
https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/01/activity01.html
・両陛下の東京都内でのお出ましは,毎年のものだけでも,全国戦没者追悼式,日本学士院授賞式,日本芸術院授賞式,日本国際賞授賞式,国際生物学賞授賞式などがあります。皇后陛下は,日本赤十字社名誉総裁として,全国赤十字大会とフローレンス・ナイチンゲール記章授与式(隔年)にご出席になっています。
・両陛下は,ご即位後15年で,47都道府県を全てお訪ねになり,平成29年までには全ての都道府県を2回以上お訪ねになりました。
・平成3年(1991年)の雲仙・普賢岳噴火,平成5年(1993年)の北海道南西沖地震,平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災,平成16年(2004年)新潟県中越地震,平成19年(2007年)新潟県中越沖地震,平成23年(2011年)東日本大震災,長野県北部地震,平成26年(2014年)8月豪雨(広島県),平成27年(2015年)9月関東・東北豪雨(茨城県),平成28年(2016年)熊本地震,平成29年(2017年)九州北部豪雨(福岡県及び大分県),平成30年(2018年)7月豪雨(岡山県,愛媛県及び広島県),北海道胆振東部地震の際には,いずれも,現地事情が許し次第,現場に赴かれ,犠牲者を悼み,被災者を慰め,救援活動に携わる人々を励まされました。その後も,被災地の復興状況に深いご関心をお寄せになり,関係者の報告をお受けになってきました。特に東日本大震災関係では,3月から5月にかけ,7週連続で避難所及び被災地をご訪問になり,被災者をお見舞になりました。
平成7年(1995年)11月には雲仙・普賢岳噴火被災地の復興状況をまた,平成11年(1999年)8月には北海道南西沖地震の被災地,平成13年(2001年)4月には阪神・淡路大震災被災地,平成19年(2007年)10月には平成17年(2005年)の福岡西方沖地震の被災地,平成20年(2008年)9月には新潟県中越地震の被災地,平成26年(2014年)11月には平成26年2月大雪被害の被災地(埼玉県),平成29年(2017年)には平成27年の口永良部島噴火の被災地(鹿児島県),東日本大震災の被災地には,平成24年(2012年)10月に福島県,平成25年(2013年)7月に岩手県・福島県,平成26年(2014年)7月に宮城県,9月に青森県,平成27年(2015年)3月に宮城県,7月に福島県,平成28年(2016年)3月に福島県・宮城県,9月に岩手県へご訪問になり,それぞれ復興状況をご視察になりました。
また,平成12年(2000年)来,地震,噴火による災害のため離島を余儀なくされた三宅島島民のことをお心にかけ,平成13年(2001年)7月には三宅島を上空より,新島,神津島は現地にて災害状況をご視察になり,島民をお見舞いになり,また,避難した島民が作業に従事している東京や下田の避難生活支援施設を訪問し,励ましていらっしゃいました。平成18年(2006年)3月には,帰島後1年を迎えた三宅島をご視察になり,島民を励まされました。
<令和流>
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/lists/2
一つ一つリンクが付けてあるので、お暇があれば見て頂きたいのですが、関係者にお気持ちを伝えるとか金一封とか、具体的です。
災害見舞いに関しては、アキヒト・ミテコの「ご訪問になり励まされました」との違いが、ハッキリ出ています。
令和6年1月5日(金)
天皇皇后両陛下には、「令和6年能登半島地震」により、大規模な被害が発生したこと、特に、昨年ご訪問になり、県民の皆様に温かく迎えられた石川県において、多くの犠牲者が生じ、今なお安否が不明の方や避難を余儀なくされている方が多いことに深くお心を痛めておられます。
天皇皇后両陛下には、犠牲となった方々に対するお悼みと、被害を受けた方々に対するお見舞いのお気持ち、また、災害対策のために尽力している関係者に対するおねぎらいのお気持ちを、本日、侍従長を通じ、馳浩(はせ・ひろし)石川県知事にお伝えになりました。
令和6年1月12日(金)
天皇皇后両陛下は、「令和6年能登半島地震」により甚大な被害を受けた石川県、新潟県及び富山県に対し、金一封を賜りました。
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で、内親王殿下が勤め先として選ばれた日赤ですが、昭和では、女性皇族が日赤本社でエプロンがけでミシンを踏む映像がニュースとして流れていたことがあります。
ミテコもいましたね、とまどった様な顔してましたが。
パフォーマンスの一つではありましょうが、実際のお仕事をされていたわけです。


皇后陛下が名誉総裁になるというのは、代々の決め事のようになっていますが、雅子様が皇后になられて、やはり少しずつスタイルが変わっていっているような印象を受けます。
よく表彰者や関係者とお話になっておられますよね。
ミテコの時の〝日赤における象徴的なコーゴーヘーカのお言葉〟を宮内庁HPから
平成18年全国赤十字大会
平成18年5月25日(木)(明治神宮会館)
本日,全国赤十字大会に出席し,日ごろより赤十字活動に深いかかわりを持たれる皆様方と親しくお会いできますことを,大変うれしく思います。
赤十字は,国際的な強い絆きずなで結ばれ,人道的事業を通じ,広く世界の人々の福祉を増進し,平和な国際社会を築くために活動を続けておりますが,我が国においても,日本赤十字社が,多くの人々の尽力により日々その使命を果たしていることを,誠に心強く思います。
今日,世界の各地には,絶えることのない紛争や相次ぐ自然災害によって,人道的な支援を必要としている人々が数多くおり,赤十字に寄せられる期待と要請は,今後もますます高まっていくものと思われます。
この様な時にあたり,一人でも多くの人が赤十字の理念に思いをいたし,より多くの人々とその理念を共有し合っていくことが必要に思われます。
これからも,皆様方が赤十字の尊い使命を胸に刻まれ,より一層力強い活動を国の内外において進められますよう,切に希望いたします。
赤十字社というのは、どこにも紐付けされていない独立した人道支援団体で、ここへ「義援金」として送ると、全額被災地へ送られ、活動資金や事務経費に使われることはない。
「支援金(活動資金)」は、赤十字社のさまざまな活動資金や経費にあてられる。
とのことで、うちは、町内会で集金するから、右見て左見て、ご近所さんと同じ額を募金していたのだけど、近年、この「支援金」の方が減っていると聞いて、雅子様が皇后陛下になられたのを機に、右左キョロキョロするのはやめて、募金額を増額しました。
雅子皇后陛下も、ご自分が(名誉)総裁になられて、内情がおわかりになっていくと、改革したいことや新しくしたいことが出てくるのではないでしょうか?
敬宮さまも、日赤で直接働くことで、よりプラクティカルな「役立ち方」を身につけられていくのではないかな、と今ではすっかりこの後の実践的なご活動が楽しみになってきています。
ジュネーブの国際赤十字本社へ行かれることもあると思いますね。
ああ、楽しみ、楽しみ。
平成流の美しい言葉だけをちりばめた〝ご活動〟なんか、何の役にも立たなかったことが、きっと現れて来ますね。
古い軛を断ち切って、お母さまの失われた20年を取り戻されることを願います。