「皇居東御苑」というところは、皇居とついていても、そこは丸きり「江戸城跡」である。
高い石垣と大木の間を抜けて行くと、古い家屋が点在する。
大小の番所である。
アスファルトの広々とした道路を歩いて行くので、何となく変な感じがする。
整備されてはいるが、「そぐわない」感が先に立つ。
木々も、きちんとしたところに植えられているわりには、伸びっぱなしで、それくらいならこんな花壇のようにしなきゃいいのにと思う。
「うちのヒソヒソが手伝って作ったものでザマス」とキコ妃が大ぼら吹いた江戸城天守閣模型を見てから天守台を目指す。
「あれ、何の建物やろ?何かの宗教法人?」
江戸城どっぷりの景色に浸っていた私たちには、その建物はちょっと違和感があった。
とにかく城跡にもその向こうにそびえるビル群にもそぐわない建物で、私たちは天守台を降りて見に行った。
はぁ・・・それが〝桃華楽堂〟だった。
宮内庁のHPには〝桃華楽堂〟の項目はない。
ただし、検索すると出てくる。
説明がたったの1行、簡単なものである。
https://www.kunaicho.go.jp/mobile/v/visit/koukyo/guide/place13.html
後にも先にも、「還暦」を記念した建物を建てて貰った皇后はいない。
香淳さまというお方は、よほど慕われていたのか皇室的には何か記念すべき業績があるのか、と思っていたので、いろいろ検索してみたのだが、還暦記念以上のことはわからないままだった。
こちらの観光案内には、香淳さまが音楽好きだったからという理由が載っているのが、宮内庁のHPより多少マシというところか。
https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0402/
https://kodairatile.com/case.htm
https://maeda-arch-design.jp/built/built055.html
皇居東御苑内には桃華楽堂というコンサートホールがある。香淳皇后が還暦を迎えたことをきっかけに建設された。クラシックや雅楽の演奏会が開かれ、平成3年には桃華楽堂の演奏会においでになった上皇ご夫妻と秋篠宮さまご夫妻。桃華楽堂のステージに登場したのは天皇陛下。この演奏会は天皇陛下が楽団長を務めていた楽団の初公演だったという。この桃華楽堂の名前の由来は香淳皇后の印であるもも。その建物の横にはハナモモが植えてあるが春には見頃を迎える。
桃華楽堂の外壁には香淳皇后にゆかりのある歌碑が5首配されています。「皇后のお誕生月を讃えるもの、ご長寿を寿ぎ奉るものを選び、御還暦を記念する音楽堂の造形に一段と生命感を寄せたい」と設計者の今井氏は述べています。これらの歌に加え、大伴家持の一首、「はるのそのくれなゐにほふももの花 したてるみちにいてたつをとめて」を添えており、香淳皇后の御雅号「桃苑」が歌言葉の中に含まれていることから選んだとのこと。
https://yuki-1013architect.hatenablog.com/entry/2019/12/31/110415
とにかく香淳さまにちなんだものが満載の建物なのだが、今は「楽部音楽堂(旧桃華楽堂)」という表記らしい。
どうしてこんなに細々調べたかと言うと、この説明板にギョッとなったからだ。
気がついたのは連れの方なのだが、彼女はどちらかと言うと、「アキシノ派」なのだ。
マコムロ騒動と敬宮さまの素晴らしいご成長ぶりとの極端な差を突きつけて、「どうだまいったか」と言ってやろうと連れ出したのだが。
「やだ、なんでこんなところに宝くじの収益金を使うのよ!しみったれてるわねぇ、宝くじは国民のことに使って欲しいわ!」
ごもっとも。
高輪婆やアキシノ一家の贅沢に文句も言わず多額の予算を付けておいて、皇居内の施設の整備によその財源を使うのは本末転倒だと思う。
それとも、江戸城本丸跡の敷地にこの桃華楽堂も付けて、環境省に移管しますかね、北の丸庭園みたいに。
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