ジョーコーの誕生日に三権の長から祝賀を受けると同時に、二度わらしになっているジョーコーを置いといて、ミテコサマ、別室で有識者会議でまとめられた結論の報告を受けたという噂があり、その場で「ヒソヒソまでは・・わかってますね!」と念をおされたとか?
まぁ、別にその時でなくてもミテコもキコもよく凸電するらしいので、どんな高邁な考えを君塚先生が示されたとしても
「王室と皇室は違います!こんなに長く続いている王朝は世界のどこにもありません!」とにわか知識で鼻フンガーすることはわかってますから気にしてませんけどね。
今、ヤフーを見ると、「女系」は「皇室の伝統を壊す」といかにも専門家づらして何とか折伏しようとする人が散見されますね。
何を言っても構わないですが、その人間たちが声高に「皇統は~ぁ!」「ただの一度も例外なく男系で繋いで来た」とがなりたてるその相手にも、自分の意見を表明する権利があることを、思いだして貰いたいものです。
特に男系男子一択だった連中が、少し「愛子さまは男系」に押されてトーンが小さくなりましたが、代わりに「女系天皇」という新しいアイテムを最後の武器に勢いを盛り返そうとしています。
いっぺん、一代限りでいいから「愛子天皇」にしてみろと思うのですが、あんまり法律をチャカチャカと変えない日本人の性格から、一度「愛子天皇」にしたら雪崩をうって
アキシノ一家が駆逐され
日の目を見ることなく終焉するということがわかっているので、「愛子天皇」の前で、何とかヒソヒソへ確実に行く手立てはないかともがいているわけです。
そんなこと気に病むことないのにねw
すっぱり女系も認めておけば、将来、第126代の天皇陛下の弟の末裔が、NYのスラム街の片隅で生きてるってことがわかって、
「その人を連れてきて天皇にしよう」
という僥倖があるかもしれないじゃないですかwwwww
継体天皇的シチュエーションですが。
あ、その前に敬宮さまの子孫が先に選ばれるに決まっているってわかっているんだ?
太平洋戦争末期、「玉」が帝都を見捨てて逃げるなんてことは許されない(昭和天皇は大元帥閣下ですから)、しかし、敵の空襲は激しくなるばかり、万が一のことを考えて、アキヒトさんはもちろん早くから疎開されてますが、天皇の血筋の少年皇族を選んで九州あたりに避難させておいた方が良いではないか?と軍令部は大真面目に適当な場所を探させたそうですよ?
連合軍が(たとえば、ソ連とか中国とかオーストラリアとか)天皇を否定する意見を強く主張していたら、日本は共和制になっていたかもしれず、それでも、天皇家というのはなくならないわけですよ、日本国憲法にはうたわれず象徴にはなっていないですけどね。
また京都辺りで国に捨て扶持をもらって、細々とやっていたかもしれないです。
アキヒトさんはミテコを嫁にするのに、あんまり反対はなかったかもしれないですね。
(もっとも、ミテコが「民間皇太子」のアキヒトさんなんか鼻も引っかけなかったかもですが)
で、天皇家は普通の生活を営みながら、諸般の事情から女性が跡を継いでるかもしれないじゃないですか?
戦争があり、国体は変容し、国民統合の象徴は日本国憲法からカットされている(もちろん下位法の皇室典範は抹消されている)という状態だとします。
息子が3人もいても、全員父親より早く亡くなることがあるある。
なかなか男子が生まれないということもあるある。
天皇家より短いですけど、五摂家で見てみます。
赤十字の社長さんだった近衛忠輝氏、戦争で近衛家の男子がいなくなってしまったので、細川家の次男坊でしたが、母親の実家近衛家を継いでおられます。
この忠輝氏、何かのインタビューで「近衛家はなくなってしまったわけですよね」とインタビュアーに言われて
「いいえ、近衛家はなくなっておりません、私が31代当主です」
と言われたそうです。
五摂家筆頭、代々、関白を務めるお家柄ですが、戦国時代には、氏素性がはっきりしない豊臣秀吉やその甥の秀次が名目上近衛家の養子になって関白やってますが、「近衛家」の系図はまた別ですよね。
近衛家としては、氏素性がはっきりしないような「(当時の公家社会ではとっても嫌だったろうと思うんですけど)下賎な」人間を養子にしてでも、近衛家の存続を考えたのでしょう。
取り潰されてはかなわないでしょうから。
同じように、天皇家でも皇統を絶やさないためには、長い歴史の中で男系男子よりも先に考えねばならないことが多々あったでしょう。
キリスト教社会の王室では、メカケの子は私生児扱いで後継ぎにはなれなかったそうですが、日本では側室の子でも天皇や将軍になれましたから、有力者はキッタハッタではなく、娘を使って平和裏に権力を掌握するという手を使ったと言われています。
なので、意識としては「母系社会」に近いのだと(専門家が言ってますよ)。
だから、何を言いたいのかというと、天皇家(だけでなく、有力豪族をはじめ貴族もですが)は皇統の条件に「男系」なんかを意識していないってことです。
女系になったら取り返しがつかないことになる、なんて嘘っぱちですよ。
明治に井上馨が「男系男子」をごり押ししなければ、こんなクソみたいな皇室典範は出来ていないでしょうし(事実、明治天皇は男の子が生まれないので、皇女の「女宮家案」を伊藤博文に相談したことがあるということです)照宮さまが皇太子になって、エリザベス女王の戴冠式に出席していたかもしれません。
少なくとも、今の状況なら、コーシなんて権利だけ要求して義務を果たさないおっさんに、似合いもしない黄丹の苞を着せて儀式を執り行うなんて無駄なことはしなくてすんだわけですよ。
国政とは関係なくなった天皇家では、皇室典範に縛られることなく、127代は女性天皇になっているでしょう。
民主主義の世の中ですもの。
学校で習った日本史が、国民の意識の根底にある時代、長く続いている皇統は、もちろん歴史とは切っても切れない関係性を持っていますが、男だけ(女は中継ぎ意識)で皇統は繋がれていると結論づけられる道理はありません。
何が何でも「天皇家」は「男系男子で繋ぐべき」とごり押しすることこそ、歴史の流れに棹さしていることになるのではないですか?
そうでなければ、今、日本という国が「日本国憲法」を持ち、三権分立で、男女平等の参政権を持ち、世界的には「人権」を言われる時代に突入している現状に説明がつかないでしょう。
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女性君主も当たり前、欧州の王位継承とは? 日本の皇室との違いは?
聞き手・鈴木友里子2021年12月24日 16時00分
安定的な皇位継承のあり方を議論してきた政府の有識者会議は12月22日、報告書をまとめ、岸田文雄首相に提出しました。皇族数の確保が喫緊の課題だとして、①女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する②旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する――の2案の検討を求めました。政府は今後、報告書の内容を国会に報告します。一方で、皇位継承策についての案は示さず、女性・女系天皇の是非などには触れませんでした。
世襲により王位を継承する君主制の国々は世界にも数多くありますが、各国王室の王位継承や王族のあり方はどうなっているのでしょうか? 欧州を中心に海外の王室事情に詳しく、有識者会議では専門家としてヒアリングも受けた関東学院大学の君塚直隆教授(英国政治外交史)に聞きました。
戦後広がった女性への王位継承権
――欧州にも君主制の国々は多いですが、王位継承の仕組みはどのようになっているのでしょうか?
日本の皇室では皇室典範により、皇位の継承は父方に天皇の血を引く「男系男子」のみと定められています。
欧州もかつてはほとんどの国で、女性は王位に就けませんでした。中世以来の法律で王位継承権は「男系男子」に限られていましたし、世の中の価値観として「女性は家庭、男性は外で仕事」という考えが根強かったことも大きいです。
ところが、2回の世界大戦を通じて状況が大きく変わります。第1次世界大戦では欧州の国々も国家総動員態勢となり、女性も勤労動員にかり出されました。第2次世界大戦では女性が徴兵されることもありました。こうした経緯から、「男女同権」が強く意識されるようになり、戦勝国か敗戦国かは関係なく、女性の参政権も広がっていきます。
こうした男女同権の考えが広がる中、デンマークでは1953年、それまで男系男子にしか認められなかった王位継承権が女子にも与えられるようになりました。当時の国王フレデリック9世とイングリッド王妃との間には3人の娘がいましたが、息子はいませんでした。また、フレデリック9世国王には弟がいましたが、この弟の一家は国民からの人気があまり高くなかった。こうした経緯もあり、53年に憲法と王位継承法が改正され、フレデリック9世の長女であるマルグレーテ2世が王位継承順位1位となりました。その後、1972年に女王に即位し、現在に至ります。
ただし、53年の改正で女子にも王位継承権が認められましたが、国王の子どもに男子と女子がいる場合は男子が王位に就く「男子優先」でした。
――他の欧州の国々はどうですか?
デンマークのお隣のスウェーデンでは1979年の法改正で、それまで男子にしか認められなかった王位継承権を、男女関係なく第1子が優先して王位継承する「長子優先」に変えました。欧州で初めてでした。
スウェーデンの現国王であるカール16世グスタフには当時、第1子の長女ビクトリア王女と第2子の長男カール・フィリップ王子の2人のお子さんがいました。法改正前はカール・フィリップ王子が王位を継ぐはずでしたが、法改正により長女のビクトリア王女が王位継承順位1位の皇太子となりました。
男女同権意識の高まりと、安定的な王位継承
――変更が実現した背景には、男女同権意識の高まりが大きかったのでしょうか?
もちろんそれは大きいですし、あとは安定的な王位継承という目的もあります。
イスラム圏の君主制の国々では、現在でも王位継承権は男系男子に限るのが一般的です。ただ、これは一夫多妻制を前提としています。一夫一妻制の下で王位継承権を男系男子に限ると、どうしても王位継承者がいなくなるという事態は起こりやすく、王室の存続に関わってきます。
スウェーデンが王位継承権を男女平等にしたのを皮切りに、83年にオランダ、90年にはノルウェー、91年にはベルギーが男女関係なく長子優先となりました。オランダはそれまでも女性が王位に就くことはできましたが、男子優先でした。ノルウェー、ベルギーに関しても男子のみに認められていましたが、女子にも継承権を与えるのと同時に長子優先としました。また、53年に女子にも王位継承権を認めたものの男子優先だったデンマークも、2009年に長子優先に移行しています。
一方、ヨーロッパ大陸の多くの国々とは違い、英国ではもともと女性も王位に就くことができました。例えば、16世紀のイングランドの君主であるエリザベス1世や19世紀のビクトリア女王などが有名です。当時は男子優先だったのですが、2013年には英国も男女関係なく第1子が王位を継承する長子優先に変わっています。
――国によって歴史も文化も違います。こうした制度変更の際には、大きな議論が巻き起こることもあったのでしょうか?
ここから続き
例えば欧州で初めて王位継承権を男女平等にしたスウェーデンでは当時、国王のカール16世グスタフ自身は制度変更に反対だったと言われています。一方、一般の市民の間では男女平等、男女同権が当然になっており、王室だけが違うのはおかしいという声が大きく、そうした声を反映して長子優先へと移行しました。
――欧州の王室では公務を担う王族が減ってしまうという問題は起こらないのでしょうか?
現行の日本の皇室の制度では、女性皇族は民間人と結婚すれば皇族の身分を離れます。現在、秋篠宮さまの長男悠仁さま以外の未婚の皇族は全員女性ですから、将来的に公務を担う皇族数が不足してしまう事態が考えられます。そのため、今回の有識者会議でも皇族数の減少への対応策が大きなテーマとなったわけです。
一方、欧州の王室では、女性は結婚しても本人は王族のまま公務を担い続けます。英国の女王エリザベス2世の長女アン王女や、デンマークのマルグレーテ女王の妹ベネディクテ王女など、みなさんそうです。結婚相手である夫や子どもは王族の身分にはならず、あくまで王女本人のみ王族ですが、子どもには王位継承権はあります。
民主主義を補完する君主制とは
――君塚さん自身は、安定的な皇位継承のあり方として、どのような形が望ましいとお考えですか?
有識者会議のヒアリングでも申し上げましたが、私は日本の皇室も男女問わず第1子が皇位を継承する長子優先にすべきだと考えます。また、女性皇族に継承権を与えるだけでなく、男性皇族と同じように「宮家」を創設できるようにするべきです。
つまり、男女同権にするということです。そうでなければ皇族数の先細りは避けられませんし、女性・女系天皇を認めなければ安定的に皇位を継承し天皇制を維持することも難しくなってしまいます。
時代も変わっています。欧州の多くの王室でも、かつては女性は王位に就けなかったわけですが、国民やその価値観とともに変わってきたのです。
一方でこうした議論をするには、皇室への国民の関心が薄いことも気になります。今の日本では、皇室と国民の距離が遠すぎるのが原因ではないでしょうか。
民主主義と、世襲により王位や皇位が継承される君主制は、一見、相反する制度のように見えます。しかし、政府が担う政治や外交からはこぼれ落ちてしまうような社会福祉や学術・芸術の振興といった役割を、王室や皇室は担っています。民主主義を補完していると言えるのです。
例えば、英国の王室メンバーは3000以上の慈善団体や組織の会長などに就き、日々、公務をこなしています。そして、そうした情報を積極的に情報発信することで、国民もそのことをよく理解しています。
日本の皇室も、担っている公務についてもっと積極的に情報発信していくことが重要だと思います。国民の皇室に対する理解が深まれば、皇位継承のあり方などを議論をする土壌も醸成されてくると思います。(聞き手・鈴木友里子)