秋篠宮さまの「皇室の内側」ばかりを気にする「内向き会見」に抱いた疑問
12/12(日) 7:02配信
現代ビジネス
小室眞子さんが結婚してから初となる秋篠宮さまの記者会見が行われ、結婚に対する考え方が示されたが、眞子さんの会見時と同様に、まるで皇族が国民を分断し、その一部に対峙しようとしているかのような印象を持った。
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そこで語られたのは、徹頭徹尾「内向き」な、皇室のご都合ばかりであり、結婚問題を見守った世間や社会という「外」に対する思いやりがほとんど感じられなかった。会見での秋篠宮さまの発言を検証した。
誹謗中傷許容できず
「国民に対峙」との感覚を覚えたのは、強い語調で週刊誌などを非難した部分だ。
眞子さんが「複雑性心的外傷後ストレス障害」(複雑性PTSD)と診断されたことの原因に関して秋篠宮さまは「恐らく週刊誌、それからネット両方の記事にあるのだろうと思います」と話した。
「創作というか作り話が掲載されていることもある」「相当ひどいことを書いているのもある」「ネットによる誹謗中傷で深く傷ついている人もいるし、それによって命を落とした人もいる」と続けた後、あくまで一般論としてだが、「誹謗中傷、つまり深く人を傷つけるような言葉というのは、雑誌であれネットであれ、私としてはそういう言葉は許容できるものではありません」と語った。
一般論としては当然の見解であるし、眞子さんの結婚に関するネットの書き込みや週刊誌記事に、事実ではない記述が多々含まれているというのは恐らくその通りだろう。だが、眞子さんの複雑性PTSDの話の延長で、「許容できない」とまで述べるのは、まるで「自分たちへの強い批判は許しがたい」と対決姿勢を宣言したように感じられる。
象徴天皇には、あらゆる国民に対して等しく接しなければならないという宿命のようなものがあるはずだ。少なくとも多くの国民はそうしたことを期待している。「許容できない」という今回の言いようは、「次期天皇」の言葉としてふさわしいと言えるのだろうか。
皇族は何を言われても黙っていろと言うつもりはない。だが私は秋篠宮さまの発言に、「内」と「外」とに線を引き、「外」から「内」を守ろうとする一種の身内意識を感じる。秋篠宮さまはすでに「皇嗣」であり、現行制度上、次の天皇になることが決まっている。
その発言が「天皇陛下の即位前のお言葉」として半永久的に記録に残ることは、皇太子時代の現在の天皇陛下と同様だ。「外」に向けた自身の発言の重みをどこまで自覚しているのか、疑問を感じざるを得ない。
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皇室への影響
記者会見は、宮内記者会が事前に提出した質問に答えていく形で進行した。眞子さんの結婚当日、秋篠宮さまは文書で「皇室への影響も少なからずありました。ご迷惑をおかけした方々に誠に申し訳ない気持ちでおります」との談話を公表していた。質問の一つ目は、この「皇室への影響」が何を指しているのか、その内容を問うものだった。
秋篠宮さまが回答としてまず言及したのは、なぜか上皇后美智子さまに関する週刊誌報道のことだった。「上皇后陛下が(結婚騒動に関して)いろいろ言われたと、こういう考えだというのが週刊誌に出たりしました」。補足すると、これは週刊誌が「上皇后さまの意向を受け、宮内庁トップが小室圭さんの代理人を皇居内に呼び出した」などと報じたことを指している。
美智子さまを傷つけた?
この週刊誌報道について秋篠宮さまは、上皇后さまのそうした発言は聞いたことがないと説明。宮内庁がホームページで「上皇、上皇后両陛下は首尾一貫して一切の発言を慎まれている」と否定したにもかかわらず報道が続いたことが、「やはり、負担になったことは間違いないと考えています」と話した。
「負担になった」とは、一体誰の負担になったというのか。皇室への影響を問われているのだから「皇室全体への負担になった」と取ることもできるが、普通に考えれば「上皇后さまの負担になった」と解釈するのが自然だろう。
自分の母である美智子さまが“傷ついた”ことを「結婚騒動が皇室に与えた影響」の一番手に挙げる感覚が、私には理解できない。秋篠宮さまは今回の会見で「自分は私より公を重んじている」と繰り返しているが、これでは「公より身内」を重んじていることにはならないのだろうか。
儀式の印象軽くした
〔PHOTO〕Gettyimages
「公より身内」という意識は、ほかの部分でも感じる。新聞各紙のうちいくつかは、結婚に伴う儀式が行われなかったことが「皇室の行事、儀式というものが非常に軽いものだという印象を与えた」という秋篠宮さまの発言を見出しに取った。会見の中で、ここが最も重要なポイントだと判断したわけである。
確かに、皇室は宮中祭祀など伝統と共に存在していること自体に価値があるとも言える。そう考えれば、たとえ結婚というなかば「私的な」印象のある事象であっても、古式ゆかしい装束を身にまとう儀式に重要性があるのは当然だ。それがなされなかったことは重大な事実である。
しかし、秋篠宮さまは、それに続けてこう言っている。「それ(儀式に軽い印象を与えたこと)が影響ということであり、迷惑をかけた方々に対して申し訳なく思っているというのもそこにつながります」。
「申し訳ない」と明確に陳謝しているのだが、それでは陳謝の対象である「迷惑をかけた方々」とは誰のことなのか。儀式を行わずに軽い印象になったことが、国民一般への迷惑になるとは思えない。したがってここでも、気を遣い、陳謝している対象は一義的には「皇室の方々」という「身内」のことになるのではないか。
個人的な見解になるが、結婚騒動が皇室に与えた最大の影響は、民間のいさかいの一方の当事者に皇室が肩入れしたことによって、国民から受け続けてきた「皇室への敬愛」が損なわれたことにあるのではないのか。
眞子さんは自身の会見で「婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした。圭さんのお母さまの元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めていただきました」と述べた。「対応」とは「トラブルに関する対応」のことであり、ここで眞子さまは、皇族であった自分が一方の当事者である小室家に同調したことを自ら認めている。
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娘の夫も外の人
「身内ひいき」とも言えるこうした態度や考え方は、今回の秋篠宮さまの発言にも表れていると思う。
眞子さんと小室さんの会見は、前日になって急遽「質疑応答はなし」という形になった。2人は自分たちの現在の気持ちや、記者側が前もって出していた質問に対する答えを読み上げただけで会見場を後にした。
秋篠宮さまはこれについて「一方向のものではなくて双方向での会見という形にしてほしかった」と述べた。しかし、この部分をよく読み返してみると、眞子さんと小室さんとでは、扱いに差があることが分かる。
眞子さんについては、複雑性PTSDに触れた上で「会見している間に何か発作とか起きることも考えられるでしょうから、やはり難しかったのかなと思います」と理解を示したが、一方で小室さんに対しては、「自分の口から話をして、そして質問にも答える、そういう機会があった方が良かったと思っております」と話した。
小室さんのことを、一貫して「娘の夫」とか「夫の方は」などと呼んでいることも気にかかる。なぜ素直に「小室さん」「圭さん」と呼ばないのか。娘が選んだパートナーに対する態度として人間味に欠けるようにも感じる。秋篠宮さまの中では、まるで娘夫婦の間にすら「身内」と「外」の区別があるかのようだ。
皇室の都合
そもそも、2017年に婚約内定会見を行なっておきながら、その後4年にわたって結婚が実現しなかったのは、小室家側の金銭トラブルや種々の疑惑に原因があるとされてきた。皇室はそれに振り回された「被害者」であるという見方だ。
しかし、本当にそうとばかり言えるのだろうか。一方の側にトラブルがあることが分かったとしても、それが民間の家同士で、互いに理解を示しあってさえいれば、結婚を進めることに何の支障もないはずだ。そこに支障が生まれたのは、ひとえに「相手が皇室だから」というのが理由であり、言ってみれば皇室側の都合で結婚が延び延びになったと言うこともできると思う。
なのに、小室さんがこの春に出した長文の文書を、秋篠宮さまは「あれを読んでみんながすぐ納得できるものではない」と批判した。あくまで自分たちが被害者であるとの立場で、説明する責任を小室家側だけに押しつけるような言い方を続けてきたのは、皇族という自分たちの立場が特別扱いされるのが当然だと思っているような印象すら受ける。
繰り返しになるが、今回の結婚騒動の最大の影響は「皇室に対する国民からの敬愛を損ねた」ことにあるのであって、その原因には、騒動を巡って秋篠宮家自身が取ってきた態度もあるはずだ。決して、小室さんやその周辺の人々が「非道徳的」であるから皇室というブランドが傷つけられた、というだけの話ではないと思う。
敬愛を守るには、相手にばかり責任や説明を求めるのではなく、秋篠宮家自身が「私」を捨てて、国民に対して言を尽くす必要があったと思う。今回の会見は、眞子さん、小室さんの会見とならんで、そのほとんど唯一の機会だったのに、国民に対する真心は、結局示されずに終わってしまった。残念なことである。
大木 賢一