ボランティア活動の常連さんで、ご本人が(この辺りでは)高学歴の方が二人おられます。
おじいちゃんです。
お一人は名古屋大、もうお一人は金沢大卒。
ゴミ拾いの日程が決まると私が電話をかけるのですが、以前はご夫婦で出て下さいました。
いつの間にか奥様のご病気や家の都合でご主人さまだけが出て下さるようになり、たまにおばちゃんたち(おばあちゃんたち)に付き合って喫茶店でのおしゃべりに参加して下さいます。
お二人に学歴をゲロさせたわけではなく、この地域のことですので、たいていの人が知っています。
むしろ後から入って来た私は何にも知らない、申し訳ないけれど、「へ、こんな田舎で?」と思いました。
有名メーカーに就職されて、リタイア後ゆったりと暮らしておいでです。
まだ、陛下が皇太子殿下だった頃、この二人に聞いてみたことがあります。
愛知万博で、総裁は皇太子殿下、たしか大々的なゴミ拾い活動があって、みんなの車に分かれて万博会場まで行きました。
雅子妃はお顔の色が優れずそれでも会釈してくださいました。
殿下はお一人で会場を回られたと記憶しています。
何度もいらしてくださったようですが、私が見たのはこの時一回だけ。
皇太子妃に対する当たりが強くなり始めていました。
「雅子さま、大変だね。才女なのにあちこちで手を振るだけ。ミチコサン(なぜか婆さんたちは〝サン〟付けです)は丈夫だから、同じようにできるかね?」
「皇太子さんはお元気だよね、公務は一人でこなされていくのかも」
こんな話をしただけで、愛子さまだのユージンさまだのの話はナシ。ズルヒト君は生まれていたと思うのですが、あんまり話題になってなかったですね。
それが、最近になってズルヒトの名前があがるようになりました。
ついこの間ですが、件のお二人も参加して下さいましたので、これ幸いとダイレクトに聞いてみました。
「愛子天皇に反対ですか?」
「いやいや、僕はあんまり皇室のことは知らないし考えたこともないけど、アキシノだけは御免被るなぁ。昭和天皇の見舞いとか言って留学中なのにしょっちゅう帰ってきたでしょう。金鎖ジャラジャラつけてこれでも皇族かって思いましたよ。彼だけはイヤですね」
「あ、覚えてる覚えてる、いい気なもんだと最初から嫌悪感抱いてました。兄貴がしっかりしていてよかった。今はもっとひどくなってますよね、だら~とほおの肉が落ちて、どうせ酒ばっかり飲んでるのと違うかな?」
「キコさんも気持ち悪い顔になったし、あの二人の子どもでしょう?知れてますよね」
その次に、あるおばさんから、ズルヒト擁護の意見あり。
「ミキちゃんの人を見る目はアテにならないな。若い頃は、アキシノの方が背が高いから天皇に相応しいって言ってたじゃないか」
「そんなこと言ってない!」
「そんなことないって!僕ちゃんと覚えてるもん。皇太子さんはチビすぎるから、外交に向かない、外人に馬鹿にされるって。アキシノは持ち上げられてました」
まぁ、お二人はアキシノの背の高さに迷わされることなく、ずっと徳仁親王推しでこられたようなのですが、ズルヒトの高校や大学入学の怪しさにはドン引きして、今でもとてもズルヒト推しにはなれないとのこと。
「たかが学歴ですけど、なんであんなものに拘るんですかね?」とバッサリ。
「僕らは就職に有利だっていうんで、おふくろに尻叩かれて必死に勉強させられたですけどね。予備校もあんまりなかったし、講師の先生が河合塾から情報もらってたくらいかな?意味わからんまま、得点だけ追っかけてた」
話のついでに「大学へ行って良かったことは?」と聞いてみました。
「んー、人間関係が公平だったことかな?」とこれは金沢大学卒のお爺さん。
そう言えば、陛下の侍従職にと、ご友人が名前に揚がった時のこと。
家柄もいいし、初等科からのご学友だし、頭も良いしで言うことなしの推薦だったらしいのですが、陛下は学校時代の友人とそういう上下関係を持ちたくないと断られたとのこと。
その話を披露したら、お爺さん二人「やっぱりお考えが深い」と感心しておられました。
社会に出たら、もう決してこの学生時代の公平性にはお目にかかれなくなるので、やっぱりヨイショ連を引き連れての大学入りはなんの意味もなくなる、ムダ、と言うことでした。
だから、これからも威張るだけしか知らないズルヒトには天皇になってほしくない、そうです。
でも、この雑談のまとめは「へーせーと令和」の皇室の在り方の違いによる変化ではないか」ということです(私めが勝手にまとめました)
人がいればただ手を振るだけでことは足りるとしたミチコさんをお手本にしていたキコさんに、ズルヒトの教育はどうやったって無理でしょう。
学究が聞いて呆れる。
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