意地悪婆さんだの嫁いびりだの言われてはや半世紀過ぎました。
雅子皇后陛下はもちろん尊敬もしておりますが、昨今のご活躍を見るに、過ぎ去った苦難の十数年は惜しくもありますが、何とか雅子皇后陛下の素晴らしさを国民が広く知りえるようになり、「間に合った」と私はへんな安堵をしております。
家では家族に「まさこさまぁ~!」とからかわれるほどに知られているのですが、心から「お労しい」と思い、密かに涙していますのが香淳さまです。
大して皇室に興味のなかった私に、「はて?」と思わせたのは姑です。
週刊誌はどれもこれも毎週毎週飽きもせず「すんばらしいミテコサマ」「皇族出身(タカビーの意味)の姑に虐げられている平民出のおきゃわいそーなミテコサマ」と書いていました。
ですから私以上に興味のない亭主も「皇后が皇太子妃を嫁いびりしている」という週刊誌記事があることを知っていました。
別に嫁の立場である私をかばったと言うわけでは決してないのですが、自分の母親が、週刊誌記事に本気で怒るものですから良くからかっていました。
「ながこさまは、嫁いびりなどなさいません!」
「そういう下世話なことをなさるお方ではないですよ!」
「あるとすれば、ミチコサンの方でしょ!」
「作り話を書かせているのでしょう」
「ながこさまはお育ちが違うのですから、意地悪することなどお思いにもならないですよ!」
どこまでも尊敬語での抗議でしたねw
雅子皇太子妃への週刊誌の誹謗中傷が酷くなって、私が思ったことは
「雅子さまはそんな(わがままだのサボリだの)ことをなさるお方ではない」
と言うことでした。
いやぁ、存じ上げてると言っても、テレビで拝見する位のことですけどね。
でもね、人間、年を食うとわかるものなんですよ。
だって、週刊誌で散々褒めそやされていたゴキさんですが、中年になった私たちは別に示し合わせたわけでもないのに
「(アーヤが初恋の人かと聞かれて)ハイ、シャヨウデゴジャイマシュ」と答えた瞬間
ウソだろー、って叫びましたものw
玉の輿狙いってのも一致してました。
ま、それは置いといて、香淳さまがミテコをいびったという証拠として出ていたのは
・ミテコの馬車パレードに「私の時は馬4頭だったが、なぜミテコは6頭か」と文句をつけた
・ミテコはなかなか里帰りさせてもらえなかった
・昭和天皇香淳皇后アメリカ訪問時のお見送りで、香淳さまはミテコを無視した
この3つですかね?
これが手を替え品を替え証拠として出されて、ミテコサマおきゃわいそーとなるんですね。
しかし、私のような素人が、ちょっと当時のことを書いた本や週刊誌をあさるだけで
「ミテコの大ウソ」
ってのが判るんですね。
一番よくわかるのが「入江相政日記」ですね。
吉田茂は、当時の皇太子ご成婚を「もう戦後ではない、日本の経済復興を世界に知らしめる一助にしたい」とハデにやりたいとの意向を持っていた、と言われています。
一方、昭和天皇のご成婚は、関東大震災という未曾有の地震被害で延期になっていますし、ずいぶん予算も削られました。
馬車6頭と4頭の差は、香淳さまに説明して納得してもらったと入江日記にありますが、どのような説明がされたのか、それはわかりません。
ただ、素人が考えるに、それは、どれくらいの重さを馬が曳くかということでも決まると思います。
調べてみたら儀装馬車は馬車自体800㌔をゆうに超します。
馬車列は「権威の象徴」でもありますが、昭和帝の乗られた儀装馬車(てっぺんに鳳凰が乗ってるヤツ)は1トンを超えてますので、たしか、8頭立てで曳いたとか(うろ覚えですみませんが)。
儀装馬車は、格で重さが違いますし、香淳さまの時は、昭和帝とお二人で馬車にお乗りにはなりませんでした。
ミテコさんはアキヒトさんと一緒に乗ってます。
恐らく4頭で曳くのは馬も大変ですから(ただの輓馬じゃないですからね)6頭になったのでしょう。
アメリカご訪問のお見送りで、香淳さまがミテコを無視したと言ったのは、渡辺みどりです。
アキヒトさんのご学友の肩書きで一生食べていた橋本明と双璧をなす人物で、渡辺みどりは、ミテコ教信者代表でずいぶん作り話を週刊誌に書き散らかしました。
中には大事な大事な〝歌詠み巧者〟であるミテコサマの短歌を、香淳さまから苛められてホントに苦労しているという解釈へわざわざ持っていって、「違ってますよ」と仲間の朝日に書かれるという失態をやらかしているくらい、ミテコ善人香淳さま悪人で凝り固まっていました。
それで、こやつの言う「香淳さま、ミテコを無視」の記事ですが、お見送りの皆さまに香淳さまがお声をかけるのに、常陸宮様の前には立ち止まられてお声をかけられた、次にミテコの前をスッといきすぎてアキヒトさんの前で会釈をされたと言うんですね。
渡辺みどりは、編集室でそのお見送りの様子のテープをチェックしていて「アッ」と声が出たそうです。
「ミテコサマの前を素通りしやがった、あのババア」ってとこだったらしいです。
同じように気づいた仲間もいて、シンとなったそうです。
しかし、ですね、テレビにはむろんそのシーンは出てきません。
渡辺みどりも、切り取ってスローモーションで見せたらいいのに、お見送りのシーンがただ流れるだけのところへ自分の主張を被せるだけです。
私は、ミテコ教の渡辺みどりにだけはそういう風に見えたのだと思っています。
なぜなら皇族方のお見送りは、空港の貴賓室でありました。
昭和帝は出発のお言葉を述べられ、香淳さまは、ミテコから渡されたという小さな花束を抱えてやや後ろ気味のお隣に立っておられます。
件のシーンは、飛行機に乗り込まれる前に、お見送りの皆さまが一列に並んでおられるところです。
遠目ですので、お言葉を交わされたどうかはわかりません。
ミテコによろしくね、というお言葉くらいはあったかもしれません。
でもですね、もともと、皇后陛下が皇太子妃に頭を下げるというのはおかしいことです(当時は)。
昭和天皇はもちろんミテコサンの前で立ち止まられたりはしておりません。
アキヒトさんとは何か話しておられますが。
要は、「ミテコ大事」の連中が、当時のご身位のことなど考えもせずに、好き勝手に「嫁いびり」のレッテル張りをしたのだと思います。
ただね、ミテコって本当に自分勝手で、相手の気持ちを汲むなんてことしたことがない人間だなぁって、私は思ってます。
長女の成子様は幼い子どもたちを残して三十代の若さでガンで亡くなられています。
大勢の人たちが立ち働く御所では、悲しむことさえお出来にならなかったでしょうが、昭和天皇とお二人、ご静養で那須に赴かれた折、お二人で交わされた言葉、錯綜する思い出、新たなお悲しみが襲っておられたかもしれないのですが、反面、その涙もまた母親の悲しみをわずかずつでも癒してくれてはいたかも・・・。
そんな時、息子とその嫁が二人連れでやってきた、そして自分たちの不満を口々に訴えたと。
昭和天皇はだまって聞いておられて最後に「わかった」と一言、香淳さまは何もおっしゃらなかったと、入江日記には書かれています。
----------
うちの亭主は、「嫁いびり」の話はすっかり忘れておりますが、平成の初め、文春にミテコの悪口記事が載った際、ミテコ自らが反論したこと、これには仰天しておりましたね。
「皇后が自分で反論したの?世も末だ」
後は、ミテコの生足ですかねw
「気持ち悪いなぁ、ババアの生足なんか晒すなよ」
香淳さまの実録が読めるところまで命があったのは僥倖の極みです。
≪ 見たまま感じたままが書ける素直な記事 | | HOME | | 皇后陛下、お誕生日おめでとうございます。 ≫ |