これがミテコのイケズなところ

 https://news.yahoo.co.jp/articles/c47ce1b92b33cd797b8b3812314ca254b68298b2?page=1

キコの人気なんて、最初のうちだけでしょ。
私はその頃は女性週刊誌は美容院で読むものとしていたけど、頭に残っているのは、「ステテコ爺さん」とか「ロイヤルマッサージ」と呼ばれた、キコの母方祖父、嘉助じいさんの言葉だわ。

「キコは気が強い」とか「テレビを見ていると“こんなもの見てるの”“お父様(辰爺)は私たちにお金を使ってくださるから恩返ししなくては”と言われる」と小娘にやりこめられている話ばかりしていたわ。
でも、穏やかないいひとだなって私は思った。
とにかく、ハイソに見せよう見せようとしているのが丸わかりのカワスマ家より好感が持てたよ。
ただ、「これで皇室に入るのかー、すげぇ心臓」とは思ったけど。

皇族から平民というのも、戦前の人には超びっくりだったかもしれないけど、民主主義の世の中になったとはいえ、家の格ってものを大事にしている明治生まれの姑婆がそばにいたから、イトコ婆さんの「自慢っぷり」も含めて、世の中変わったもんだと思ったわ。

だから、雅子さまがお妃に決まった時は、さすが皇太子さま!やっぱり跡継ぎは違うんだと興奮しまくりだった。

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もう一つ、こっちは 

ぜーったいウソだろー!



の部分。





> 秋篠宮も「あの時、(紀子さんと=筆者注)出会わなければ、私は現在でも独身だった可能性があります」(江森敬冶『秋篠宮』、小学館)と語っている。



あの(世界に配信された)下半身男がそんなわけねーじゃんw

あ、独身のままってのもアリか?

でも、あちこちに子供だけはいたりして・・・|*`艸´)ククク…




で、ミテコサマだけど。






ミテコは、自分の知性にも教養にもすごーく自信を持っているのが、災いの元だと思う。

昭和天皇が植物学について、記者から誉め言葉をもらった時、「いやいややっぱりプロは違うよ、私なんか比較にならない」とおっしゃったそうだけど。

ミテコにはそれがない。

いつでもどこでも素人の太鼓持ちで周りを固めているので褒められまくって、何事も豚が木に登っている状態。



>それが公にされている『適応障害』という病気にもとても良い効果をもたらすのではないかと思うのよ

これなんて、医師団が「波があるから見守ってくれるように」という『適応障害』の治療とされていることと真逆じゃん?

ミテコのずるいところは、雅子さまを呼び出して直接にネチネチというところ。

私が小耳にはさんだところによると、親切を装って細かいことでも指示してくるんだってね、そして次は、何度も何度も念押しの電話が・・・。
女官さん、胃をやられているのでは・・?






皇后・雅子さまと秋篠宮妃・紀子さまの人気は、なぜ逆転したのか…結婚30年を過ぎた2人の「幸福度」を考える
6/16(金) 17:17配信
プレジデントオンライン
■ふたりの妃の人生、幸せなのはどちら? 
 ご成婚から30年を迎えた雅子皇后と33年になる秋篠宮紀子妃、どちらの人生が幸せなのだろう。
【この記事の画像を見る】
 この難問に答えられる人はいないだろう。
 特にこの2人は、「不思議なことに、世間では紀子さまが持ち上げられると雅子さまの人気が下がり、雅子さまが復権すると今度は紀子さまが、といったシーソーのような関係が続いています」(コラムニストの辛酸なめ子氏=週刊新潮6月15日号)
 悩んだ末にBingの生成型AIに聞いてみた。AIに一番苦手なのがこうした質問だが、案の定、こんな答えが返ってきた。
 「彼女たちは、それぞれの立場で、皇室のために尽力されています。また、彼女たちが幸福な人生を歩んでいるかどうかは、私たちが判断することではありません」
 その通りではあるが、ここで判断を停止してしまうと、この原稿が書けなくなる。
 以前にも書いたかもしれないが、私は人間誰でも「幸福の総量」は生まれながらに決まっていると思っている。 2人の人生を考えるためには、結婚当時のことを今一度思い返してみるのがいいのではないか。
 その前に断っておきたいが、私は、秋篠宮と紀子さんの現状が不幸だなどと決して思っているわけではない。しかし、共に皇室という未知の世界へ飛び込んだ2人の一般女性が、結婚30年を過ぎた今、2人の「幸福度」にいくらかの差が感じられるのはなぜなのかを考えてみたいと思ったのだ。
■小和田雅子さんは結婚を何度も断っていた
 当時、皇太子は小和田雅子さんとの結婚を強く望んだが、彼女は外務省のバリバリのキャリアウーマンで、「外務省で大変やりがいのある仕事をしている。辞めたくない」と何度も断ったといわれている。
 一部報道では、当時、付き合っている男性がいたともいわれた。私も週刊誌の現場にいたが、彼女の意志を尊重すべきではないか、皇太子は諦めるしかないと考えていた。
 この間の事情を、成城大学の森暢平教授が、サンデー毎日(6月18日号)の「社会学的皇室ウォッチング!」でこう書いている。
 「結婚が決まったのは1993(平成5)年1月19日の皇室会議だが、出会いは6年ほど前に遡る。この間、話は一度白紙となった。宮内庁側で問題になったのは、祖父がチッソの社長であったことである」
 祖父の江頭豊は興銀の銀行マンだったが、1964(昭和39)年から1971年まで水俣病の原因企業であった「新日本窒素肥料(のちにチッソと社名を変更している)」の社長を務めていた。
 水俣病が社会問題になったのは昭和30年代の初めで、患者の一部に見舞金が払われたのは昭和59年だったから、多くは江頭社長の在任中であった。被害者たちと株主総会で全面的に対峙する立場にあり、「補償額を縮減しようと一部被害者を怒らせ、解決を遅らせた社会的な責任はやはりあると私は考える」(森教授)
 
 
 ■旧態依然たる考えを覆したのは“熱情”だった
 雅子さんに問題があったわけではないが、当時の宮内庁では、皇太子のお嫁さんは「清潔で立派な家庭」という古めかしい考え方が支配していたようだ。
 森教授によれば、雅子妃が候補として消えた後、ある女性が有力候補になったことがあったという。
 だが、「やはり曽祖父が朝鮮総督府で武断政治を進めた幹部であったことが問題となった。昭和から平成の妃選考では、家系と血筋が依然として重要だったのである」(森教授)
 そうした宮内庁の旧態依然たる考えを覆したのは、皇太子の雅子さんに対する“熱情”であった。
 文藝春秋(7月号)ではジャーナリストの友納尚子氏が、皇太子が小和田雅子さんと結婚するまでの「秘話」をこう明かしている。
 1992年2月、赤坂東宮御所の一室には皇太子と菅野弘夫東宮大夫の2人。それまであまたのお妃候補たちが浮かんでは消えていった。さらに広い範囲から候補をピックアップしようと大夫が説明している時、皇太子が思いもよらぬ人物の名を挙げたという。
 「小和田雅子さんではだめでしょうか」
 彼女は5年前、小和田家から人を介してやんわり辞退する旨が伝えられており、お妃候補からは消えていたのだ。
 このことはこれまでも報じられていたが、陛下が即位した後なら公にしてもいいといわれ、友納氏が聞いた秘話を披露している。
■5年もの間「ずいぶん待ちました」
 皇太子は雅子さんについて次のように語ったという。
 「いつも周りの人たちを気遣うような思いやりのある方でした」「はにかむ……というか、そういう笑顔がとても印象に残っています」
 皇太子は5年間、雅子さんのことを思い続けていたのである。皇太子は浩宮時代の二十歳の誕生日会見で、結婚する人はどんな人がいいかと聞かれ、
 「人の苦しみや悩みとかの心情をおしはかって、思いやれる人がいいと思います。皇族は色々な人と会う必要がありますが、いろいろな経験を積んでいる人なら人の心が分かってくると思います。家柄の良い人というけれど家柄がいいゆえに世間知らずに育ってしまって他人の心が良く分からない人では困ります」
 と答えている。
 結婚相手については、「最終的には自分で決めたいと思っています」と意思表示していたが、これは「皇太子の初めての反抗」とまでいわれたほど、我を出さない皇太子にしては珍しいものだった。
 大夫は皇太子の言葉を聞いて、「お決めになられたのですね」というと、「ずいぶん待ちました」といい、表情に迷いは感じられなかったという。
 
 
 
 ■雅子さんを大きく突き動かした一言とは
 それからは何としてでも小和田雅子さんに承諾してもらわなくてはいけないと宮内庁が動いた。だが、そう簡単ではなかった。父親の小和田恆(ひさし)さんが娘の雅子さんに伝えたところ、英国でマスコミに対して全面否定したのにまだ思し召しがあるとは想像もしていなかったと驚いたそうである。
 その後2人は5年ぶりに再会して、皇太子からの電話やファックスが自宅に届くようになったが、雅子さんの気持ちは動くことはなかったという。


 1992年10月3日、千葉県市川市にある宮内庁新浜鴨場で、皇太子は雅子さんに「私と結婚していただけますか」とプロポーズした。
 だが雅子さんは、「……お断りすることがあってもよろしいでしょうか」と答えたそうだ。
 皇太子は「雅子さんが皇室に来てくれたら、嬉しい」ともいったそうだ。
 1カ月半が過ぎたが雅子さんのほうから返事はなかった。彼女を仮御所に招き、皇太子はこういった。
 「皇室に入られることには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が全力でお守りしますから」
 この言葉に雅子さんは大きく突き動かされたという。
■結婚後待っていたのは、皇室外交ではなく…
 そして12月、雅子さんの誕生日に皇太子は、自分も悩んでいたと心中を吐露したそうだ。
 雅子さんが聞くと、
 「僕としては雅子さんに是非とも皇室に来ていただきたいと、ずっと思っているけれども、本当に雅子さんのことを幸せにして差し上げられるのだろうか、ということに悩みました」
 と率直に話したそうだ。
 この言葉が、雅子さんに結婚を決意させたといわれている。
 週刊新潮(6月15日号)によれば、1993年1月19日、婚約内定会見が開かれ、その年の6月9日、当時33歳だった皇太子と29歳の雅子さんは、皇居から赤坂御用地までの4キロ余りをパレードし、2人を一目見ようと沿道に集まった観衆は19万人ともいわれた。
 各局を合わせたテレビの生中継の視聴率は85.6%(瞬間最高視聴率)を記録した。
 だが、多くの国民から祝福されて皇太子妃になった雅子さんを待っていたのは、望んでいた皇室外交ではなく、宮内庁を始めとする周囲の「お世継ぎを産め」という強烈なプレッシャーだった。
 メディアもそれに加担して、懐妊の兆候がないかをスクープするために狂奔する。1999年12月10日付の朝日新聞が、「雅子さま、懐妊の兆候」と一面で報じた。だが、その月の末に、稽留流産(胎児が子宮の中で亡くなった後、胎児や胎盤などが子宮から排出されずに残っている状態)だったことが判明する。
 「これらの一連の過程で、雅子皇后はメディアとともに宮内庁にもぬぐいがたい不信感を抱かれてしまった」(新潮)
 
 
 ■皇太子一家と秋篠宮家の間に亀裂が入った出来事
 ご成婚から8年後、2001年12月に愛子さんが誕生する。翌年4月、皇太子と揃(そろ)って会見した雅子さんは、「生まれてきてありがとう」と声を詰まらせた。
 だが、宮内庁を含めた周囲は「男の子でなくては」と雅子さんを追い詰める。さまざまなストレスが重なり2003年に帯状疱疹を発症し、長期の静養が発表される。
 ここでも、雅子さんの苦境を憂い、宮内庁のやり方に異を唱えたのは夫の皇太子であった。
 「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」
 これに対して、弟の秋篠宮は、発言する前に「天皇と相談すべきだった」と苦言を呈した。
 このあたりから、兄と弟の間には深い亀裂が入ったのではないかと、私は思っている。
 秋篠宮と紀子さんの結婚は兄より早かったが、婚約が発表されると紀子さんブームが巻き起こった。愛らしくてかわいらしい紀子さんは、まるでアイドルのようだった。
 秋篠宮も「あの時、(紀子さんと=筆者注)出会わなければ、私は現在でも独身だった可能性があります」(江森敬冶『秋篠宮』、小学館)と語っている。
 秋篠宮は出会ってすぐに両親である天皇皇后に紀子さんを紹介し、天皇皇后は「キコちゃん」と呼んでいたと、江森氏が文藝春秋(7月号)で書いている。
■祝福ムードの秋篠宮家の裏で適応障害に
 プロポーズは学習院大学近くの交差点だった。だが、昭和天皇が亡くなり喪中の間に結婚を決めたことや、兄の皇太子より先に結婚することなどで、宮内庁の一部や国民の間から異論が出た。
 一時は、秋篠宮が「皇籍を離脱してでも結婚する」と口にして騒ぎになったが、天皇皇后の後押しもあって、喪の明けた1990年6月29日に結婚する。秋篠宮24歳、紀子さんは23歳だった。
 一方の雅子さんのほうは結婚して以降、日に日に体調が悪くなっていき、メディアから公務ができないのに、私的な外出は頻繁にしているではないかなどというバッシング報道がなされた。宮内庁からのプレッシャーもあり、ついには適応障害を発症してしまうのである。
 2010年には愛子さんの学習院初等科への不登校が報じられた。原因はいじめによるものといわれたが、それから2年余り、雅子さんが愛子さんの登下校に付き添ったことが批判の対象にもなった。
 何をやっても批判されてしまう。そう雅子さんは思っていたに違いない。
 週刊文春(2016年1月21日号)には、「美智子さまが雅子さまを叱った!」という記事が出た。そこには、2人しか知りえないやりとりが、語尾に至るまで正確に記されていたのである。
 
 
 ■「人々の前に姿を見せるということが最善の道」
 その前年12月23日の天皇誕生日の夜、82歳を迎えた天皇(当時)は皇太子夫妻や秋篠宮夫妻に囲まれて団欒を過ごしたという。
 食事が終わった後、美智子さんが雅子さんと連れ立つように庭に出た。そこで美智子さんは雅子さんに色々話したというのである。例えば、
 「(雅子妃は)東宮と共に人々の前に姿を見せるということが最善の道だと思っています。それが公にされている『適応障害』という病気にもとても良い効果をもたらすのではないかと思うのよ」
 1981年当時皇太子だった天皇(現上皇)は、「日本ではどうしても記憶しておかなければならないことが4つある」として、広島、長崎、沖縄、終戦の日を挙げ、その日には天皇皇后は必ず黙祷を捧げることに触れ、
 「そういうものは、陛下が築き上げてこられたものだし、やはり陛下が広島原爆の日、長崎原爆の日、終戦記念日、沖縄慰霊の日を、どれほどか、大切に思われ、どこにおられても大切に黙祷されているという意義を、やはり深く考え理解していってほしい」
■美智子皇后の何らかの「意図」があったのだろうか
 これは、2005年の8月6日の原爆の日に、雅子さんが聖路加病院の夏祭りに参加し、終戦記念日には静養先の那須でテニスや花火を楽しんでいたことを知り、美智子さんが気にしていたから出た言葉だと、千代田関係者が解説しているが、そんな古いことを持ち出されてもなあと、私は思ってしまうのだが。
 また、雅子さんがよく実家の小和田家と連絡を取り合っていることを取りあげ、こういったというのである。
 「ご家族という意味では、(連絡を取るのは)良いことではあるけれど、皇室という中で小和田家は特別な存在ではありません。小和田家と、浩宮が育ってきた皇室というのは、文化が違うのですから。皇族の文化の中にある雅子が小和田家と触れ合いを持つという、そういう心構えでなければならないのよ」
 かなり厳しいいい方である。もちろん2人だけの会話で終われば雅子さんも、それほど心を痛めることはなかっただろうが、これが語尾も含めて文春に出てしまうというのでは、いじめととらえても致し方ないかもしれない。
 この会話は、美智子皇后が了承しなければ出せるはずのないものだから、何らかの美智子さんの「意図」があったと考えてもおかしくはない。
 信頼している美智子さんまで……と雅子さんは落ち込んだのではないだろうか。
 
 
 ■幸せを左右するのは、家族の結びつきなのかもしれない
 さまざまな困難を乗り越えてこられたのは、プロポーズの時の約束を守り続けてくれた天皇と、一卵性親子といわれるほど仲のいい娘の愛子さんがいればこそであっただろう。
 事態が好転し始めたのは、やはり、天皇(現上皇)が生前退位をして、皇太子が天皇に即位してからではないか。天皇皇后になり、初めて周囲を気にせずに自分たちらしく生きられるようになったのではないだろうか。
 最近の雅子皇后は、他を圧する威厳のようなものが漂い、そんな雅子皇后の姿を見つめる天皇の表情が和らいでいるように思われる。強い絆で結ばれた2人が苦労の末に掴(つか)んだ幸せをかみしめているのかもしれない。
 もし愛子天皇が実現したらと、私は思うが、雅子皇后は娘にそんな苦労をさせず、夫のようなやさしい人と結婚してくれればいいと思っているのだろう。
 今、長女の結婚問題で何かと風当たりが強い秋篠宮と紀子さんではあるが、すきま風が吹いているといわれる親子関係を早急に修復し、次女・佳子さんの結婚でも決まれば祝福ムードが広がり、紀子さんの顔に再び晴れやかな笑顔が戻るに違いない。
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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

Comment

元木の
  • 手白香
  • 2023-06-17 11:04
  • edit
プレジデントオンラインでの皇室関係記事って、「他人の著作や最近発売された雑誌記事の内容をピックアップして繋ぎ合わせ、自分のうっすい感想を述べる」という、典型的なコタツ記事。
そして取り上げる資料(他人の著作や雑誌記事)も、いい加減なモノばかりです。
(まあ、記者クラブ所属メディアの記事にしろ雑誌記事にしろ殆どには4Gの息がかかっていますがら、元々まともな報道など皆無に近いけど・・・)


さて、管理人様ご指摘のこの部分。

>> 秋篠宮も「あの時、(紀子さんと=筆者注)出会わなければ、私は現在でも独身だった可能性があります」(江森敬冶『秋篠宮』、小学館)と語っている。



>あの(世界に配信された)下半身男がそんなわけねーじゃんw

>あ、独身のままってのもアリか?

>でも、あちこちに子供だけはいたりして・・・|*`艸´)ククク…


ここで資料として提示されている江森の著作『秋篠宮』自体、鯰が自分に都合の良いことだけを一方的に江森に語ったものです。
この本で鯰は、“キコサマ妊娠6週”や”ジョーコー生前退位”そして”マコムロコンヤク予定”などを次々とスクープしてきたNHKの橋口について、“私はあの記者をテレビでしか見たことがない”と平然と江森に語っている。
(様々な状況証拠から橋口が秋家と懇意なのはバレバレなのに、秋家の旗色が悪くなるとサッサと斬った。この本を書いた江森も、数年後には斬られていたりしてねw)

鯰が平然と嘘をつく人間であることは、庭前から有名です。

メキシコ大統領歓迎晩餐会の際の雅子様紹介飛ばしの件も、友納記事に反論する形で宮内庁は、“そのようなことがあれば私が記憶している”などという鯰の言葉を出して来て、否定していた。
でも暫くして、“当の晩餐会の時、鯰は地方コームで東京を離れていたため欠席だった”と判明し。
その後宮内庁は、しれっと訂正していたっけな~(呆)

だからこそ、江森が聞き取った鯰発言など安易に信じてはダメなのだが、情弱な元木は鵜呑みにしてしまった。

そもそも元木など、皇室問題は門外漢なんだから、“余計なことに首を突っ込むなよ”と思いますね。

(まあ、「象徴天皇制に詳しい歴史学者」を自称する旧帝大系某国立大学大学院准教授なども、ヘーセー皇室至上主義から一歩も抜け出せない点では、元木と同レベルですけどねw)
それでも感謝の意を忘れない今上両陛下
  • 手白香
  • 2023-06-17 11:38
  • edit
>ミテコは、自分の知性にも教養にもすごーく自信を持っているのが、災いの元だと思う。


>いつでもどこでも素人の太鼓持ちで周りを固めているので褒められまくって、何事も豚が木に登っている状態。

その帰結が、皇室入りして半世紀以上経っても「着袴と裳着の違いが判らない」とか、「皇子の意味を知らない」とか、(庶民すらタブーだと知っている)「病室に鉢植え」なんでしょうね(呆)


>ミテコのずるいところは、雅子さまを呼び出して直接にネチネチというところ。

>私が小耳にはさんだところによると、親切を装って細かいことでも指示してくるんだってね、そして次は、何度も何度も念押しの電話が・・・。

6月9日の「真珠婚式」に出された今上両陛下のご感想にも、一昨日の今上陛下の会見でも、隠居老夫婦への感謝や“(先代の)なさりようを引き継ぎ”みたいなニュアンスのお言葉が入っていましたね。

特に一昨日のご会見内容。
「ヒレナガニシキゴイ」のことや、「戦争体験の継承」のことなどが、ご隠居絡みで結構出て来ました。
ご会見前日、今上両陛下は、インドネシアご訪問前の挨拶のため、隠居夫婦を訪ねておられました。
その時に2人から(爺は恍惚っぽいので主に婆から)、両陛下に対して相当な圧をかけられたのでは?と、私は妄想しています。
Re:それでも感謝の意を忘れない今上両陛下
  • 1/3管理人 〔管理人〕  
  • 2023-06-17 12:24
>特に一昨日のご会見内容。
>「ヒレナガニシキゴイ」のことや、「戦争体験の継承」のことなどが、ご隠居絡みで結構出て来ました。

なんか聞いていて、いつまでも「私があげたアレはどうしてる?」とか「アテクシの時にこうしたからちゃんとやってる?ホントに?」って、確認に来る人いるけど、そっくりw

>ご会見前日、今上両陛下は、インドネシアご訪問前の挨拶のため、隠居夫婦を訪ねておられました。
>その時に2人から(爺は恍惚っぽいので主に婆から)、両陛下に対して相当な圧をかけられたのでは?と、私は妄想しています。

先ほど、両陛下インドネシアに向けて出発された映像が出ました。

まぁ、キコのはしゃぎっぷりがウザかったわ。
今まで、ジトッとナマズの後ろにいたくせに。
しゃべるしゃべる、多分、「アタイの時はこうだったから」「教えてあげましょうか」って先輩面していたに違いない。
「アタイの十二単貸してあげましょうか」を思い出しました。
無題
  • NONAME
  • 2023-06-17 15:12
  • edit
管理人さまの文章を改めて感じたこと。
狐面子が婚約して間もない頃、お淑やか振り、ぶりっ子満載、両家お嬢様を演出父親と歩く姿を撮らせる辺り国民は皆ミテコ同様に騙されていました。

婚約時代警備の人たちを連れあちこち訪ね歩き、あれ!この景色どこかで見たことが…と思いきや我が家の近くのブティックの入り口でポーズをとった映像だった。
どうやら知り合いのブティックだとか。
そうやってぶりっ子自分売りをしていたんだと思うとゾッとしましたが。
お妃教育はどうなった?と不思議でしたが。
当時、今の狐面子の姿を誰が想像したでしょうか。

「皇太子妃になられる方はそれ以上の方を選ばないと、果たして川島紀子さん以上の方がいるのかしらね」私の親しい友人の弁。

そうやって多くの人を騙してきた、まだうら若い女子学生は20歳そこそこで、スイも甘いも経験してきたような行動を取れるものなのだろうか。

皇室に嫁ぎたい、ミテコのように皇太子妃になりたい夢は高校時代だったと聞きますから、どんだけ〜〜悪ガキだったのか。
自分に相当自信があったのか、美形だと自負していたのか、何がそんなに突き動かしたのか、普通の人なら皇室に嫁ぎたい、何が何でも嫁ぎたいとは思わない、それを実現させてしまう恐ろしい子。
下半身は鯰も狐面子も同等の類い。
川辰親子の策略で下半身で勝負したのは後に分かりましたが…。

蓋を開けてみりゃこのザマ。ミテコの二代目下手な女優を演じて、嘘の嘘の上塗りでまだスマホもSNSも無い時代、これが現時代なら通る事ではなく、狐面子よ!いい時代に生まれたもんですわ。

今じゃ、雅子皇后よりアタイの方が先輩面、憎まれっ子世に憚るとはよく言ったものですね。
二重権力どころか三重権力、次期皇后は必ずアタイがなるんだ…ですか?
まぁ!そうならなかった時、この女どう出てきますかね。
ある意味では知恵がある。
  • 射手座
  • 2023-06-17 15:46
  • edit
私は美智子さまは「徹底的に底意地が悪い」と思ってます。
意地悪よりも腹の底からの意地悪の「底意地が悪い」。
どうやら昭和天皇、香淳皇后ご夫妻はおわかりだった。
いかにも相手のことを思いやっているかのような、
「世間知らずのお嬢さま皇后」であるかのような言動。
いえいえ、相手にとっての一番の弱みを鋭く突く。
この才能に恵まれた人っているものなんですよ。
しかも、なんと巧妙な意地悪でしょう。
全員がわからない意地悪をするんです。
キコさんはわからないね。頭悪い、鈍感だから。
娘の結婚披露宴で、六通の袋帯でふくら雀を結んで、
帯の垂れが無地真っ白。
華子さま、久子さまのひきつった表情の意味が
今になってわかりました。
雅子さまだけ洋装のハブりにひきつっただけじゃない。
着物に詳しい人が篠原さんの動画を見て驚いて
スクショ、SNS拡散したんです。
さすがの美智子さまもSNSの進化にはついてこられなかったのでした。

皇后になれなかった時のキコさん。
その時は大きなものを喪ってます。
声も出ないんじゃないですか・・・失声症ではなくて。
無題
  • NONAME
  • 2023-06-17 16:42
  • edit
管理人さまの文章を改めて感じたこと。
狐面子が婚約して間もない頃、お淑やか振り、ぶりっ子満載、両家お嬢様を演出父親と歩く姿を撮らせる辺り国民は皆ミテコ同様に騙されていました。

婚約時代警備の人たちを連れあちこち訪ね歩き、あれ!この景色どこかで見たことが…と思いきや我が家の近くのブティックの入り口でポーズをとった映像だった。
どうやら知り合いのブティックだとか。
そうやってぶりっ子自分売りをしていたんだと思うとゾッとしましたが。
お妃教育はどうなった?と不思議でしたが。
当時、今の狐面子の姿を誰が想像したでしょうか。

「皇太子妃になられる方はそれ以上の方を選ばないと、果たして川島紀子さん以上の方がいるのかしらね」私の親しい友人の弁。

そうやって多くの人を騙してきた、まだうら若い女子学生は20歳そこそこで、スイも甘いも経験してきたような行動を取れるものなのだろうか。

皇室に嫁ぎたい、ミテコのように皇太子妃になりたい夢は高校時代だったと聞きますから、どんだけ〜〜悪ガキだったのか。
自分に相当自信があったのか、美形だと自負していたのか、何がそんなに突き動かしたのか、普通の人なら皇室に嫁ぎたい、何が何でも嫁ぎたいとは思わない、それを実現させてしまう恐ろしい子。
下半身は鯰も狐面子も同等の類い。
川辰親子の策略で下半身で勝負したのは後に分かりましたが…。

蓋を開けてみりゃこのザマ。ミテコの二代目下手な女優を演じて、嘘の嘘の上塗りでまだスマホもSNSも無い時代、これが現時代なら通る事ではなく、狐面子よ!いい時代に生まれたもんですわ。

今じゃ、雅子皇后よりアタイの方が先輩面、憎まれっ子世に憚るとはよく言ったものですね。
二重権力どころか三重権力、次期皇后は必ずアタイがなるんだ…ですか?
まぁ!そうならなかった時、この女どう出てきますかね。
Re:無題
  • 1/3管理人 〔管理人〕  
  • 2023-06-17 17:10
>二重権力どころか三重権力、次期皇后は必ずアタイがなるんだ…ですか?
>まぁ!そうならなかった時、この女どう出てきますかね。

彼女はどこまでもアグレッシブなんじゃないかと私は思っています。
何かあっても、へこたれないで〝次に打つ手〟を考えていそう。
どうやっても沈んだままで終わってたまるか、ってんで、あちこちの政治家や学者にコナかけて忙しいんじゃないですか?

自分たちの後ろ盾だったお皿が割れても、あんまり気落ちしないんじゃないかなぁ?
彼女、ニタニタしているけど、人への情愛っての感じられないんで(私の直感ですけど)
天皇皇后にも一層阿るのに精出して、裏でどうやって足引っ張ってやろうかと考えるんじゃないです?
無題
  • 表題違いですが…
  • 2023-06-17 17:30
  • edit
管理人さま・皆様のコメントを読んでいて、頭に浮かんだこと。

阪神淡路大震災後の火事で焼け野原になった場所に、
【スイセン】置いた美智子婆。

火に巻かれた土地に、スイセン【水】って?どうなのよって思ってしまった。

数本のスイセン。

そりゃね、美智子婆・紀子婆にはスイセンはお似合いよ‼

まだ皇居の自然の水を供えたら、まだよかったんじゃないかと。

底意地の悪さ‼から、浮かんだことでした。
Re:無題
  • 1/3管理人 〔管理人〕  
  • 2023-06-17 18:20
>阪神淡路大震災後の火事で焼け野原になった場所に、
>【スイセン】置いた美智子婆。
>
>火に巻かれた土地に、スイセン【水】って?どうなのよって思ってしまった。
>
>数本のスイセン。
>
>そりゃね、美智子婆・紀子婆にはスイセンはお似合いよ‼

あれは、私は3度見てます。
扱いに困って(本音だと思う)その後どうするか神戸市で検討に検討を重ねた結果、ドライフラワーにすることに決定。
それも当時の技術ではどうしても枯れた印象が残るため、技術開発からやったそう。
今のプリザーブドフラワーの先駆けとなり、最初の1年目には、三宮の地下鉄の入り口に、大きなガラスケースに入れられてた(かなり邪魔)。
それから布引ハーブーガーデンに移動。
3度目には前とちょっと位置が違っていたけど、置かれた場所はもっとデコレートされて、特殊なケースの中で鎮座ましましていますw

https://www.youtube.com/watch?v=hRP2KnTGsrU

11:53あたりから

震災から1年目で行った時、一緒に行った友達と「迷惑な話だね、皇后がツンだ水仙ってだけで、枯れたらぽいするわけにいかないんだから。結局は無駄なお金を使うことになる」と言い合いました。
三宮の駅裏はまだブルーシートがかかってましたし。

3度目の布引行きは、別の友人と一緒でした。
「ステキよねぇ~」
彼女はカソリックの人で、ミテコに心酔しているみたいだから黙ってましたw

よく知らないんだけど、キリスト教の信者さんたちは、ミテコのことを別の見方をして、崇めてるんじゃないかしらねぇ?
私たちは、保守系の男系男子のことばかり見ていたけど、ミテコにはもう一つの(政府に対する)圧力団体があるんじゃないのかって思う。




>
>まだ皇居の自然の水を供えたら、まだよかったんじゃないかと。
>
>底意地の悪さ‼から、浮かんだことでした。
表題違いですが…
  • 大和三山
  • 2023-06-17 18:45
  • edit
は、私です。
名前入れ忘れてしまって、ごめんなさい。

阪神淡路大震災は、火の震災。

東日本大震災は、水の震災。

平成のはじめと終りの、2つの大震災。

美智子婆には、見世物にしか見えないのでしょうね。

国民の命も、見世物。

平成の時代が終わって、本当によかった。

見世物にならずにすむから。

美智子婆・紀子婆は、早く防空壕に灰ってくれ‼
Re:表題違いですが…
  • 1/3管理人 〔管理人〕  
  • 2023-06-17 19:14
ああ、そうなのですかw
それとは別に、断っておきたいのですが、神道、キリスト教、仏教、宗教は何であれ、個々の信者さんたちには関係ないことです。
ただ、人数が多いことが政治家の選挙における集票と関係して、醜い様相を見せていることは否定出来ませんよね。
自らケジメをつけておられた昭和後半からの皇室は、嫌いではありません。
ただ、そのダダ下がりしてきたケジメの緩さが、今の宮内庁の幹部を中心に残っているのではないか、と思っています。
そして、それは平成皇室のTOPであったジジババのケジメの緩さ故、だとも思っています。
やっぱり、上に行くほど厳しくケジメを付ける必要があると思うんです。

両陛下がご自分を厳しく律しておられるので、腐った連中がやりにくいから、よけいに天皇ご一家を貶めているのではないかと・・・。

あ、キコのきぃきぃ激しくご指導とは全然別ですから。
Re:Re:無題
  • 手白香
  • 2023-06-17 21:09
  • edit
>よく知らないんだけど、キリスト教の信者さんたちは、ミテコのことを別の見方をして、崇めてるんじゃないかしらねぇ?
>私たちは、保守系の男系男子のことばかり見ていたけど、ミテコにはもう一つの(政府に対する)圧力団体があるんじゃないのかって思う。

“「聖心女子大出身だけど洗礼は受けていない」ので、皇室入りのハードルがクリアできた”と言うのが、通説でしたよね。

さて、最近量産されている皇后陛下を下げる目的の週刊誌記事。
この辛酸なめ子の記事も、そうした目的で書かれたモノでしょう。
テーマは、マスゴミ関係者が作り上げた俗説(“皇后陛下とキコの人気・不人気は交互に来る”みたいな)を下敷きにした、皇后陛下とキコの比較。
まあ、タイトルだけで内容がほぼ判る、という感じです。

>「雅子さまの人気が上がると紀子さまの人気が下がり…」 不思議な「シーソー関係」を振り返る
6/16(金) 5:59配信

マスゴミによる無理クリ上げはあっても、実際は国民の間でキコの人気が上がった時期など、殆ど無いのにねw

馬鹿馬鹿しくて、本文読むのを止めようかと思いました。
でも我慢して読んでいくと、ミテコ絡みで”アレ?”と思うような記述があったので、貼っておきます。

-----------

https://news.yahoo.co.jp/articles/b3e9a54b18f465524ff8e17abc85d541812749a7

https://www.dailyshincho.jp/article/2023/06160559/?all=1

>聞けば当時は、皇室の中もぎくしゃくしたご様子だったとのこと。美智子さまはセンスが良く完璧主義で、衣装のデザインも細部までこだわられると聞いたことが。そうした細やかさが、ご公務や行事に臨まれる際のなさりようにも及んでいたのではないかと思われます。長男の妻となれば、一挙手一投足が気になってしまうもの。宮中祭祀の所作などでも、雅子さまを「ご指導」なさる場面があったのではないでしょうか。

>敬虔(けいけん)なクリスチャンの美智子さまは、目に見えない力を信じるお心をお持ちで、祈りの大切さもまた身に染みておられたのでしょう。

-----------

「ミテコのセンスが良い」って・・・。
(なめ子は美大出身なので、美的感覚が独特なのか? それとも褒め殺しか?)

それよりもこの部分。
「敬虔(けいけん)なクリスチャンのミテコ様」ですと?
“ミテコは洗礼は受けていません”と強調し、クリスチャンの親の葬儀も神道式にした正田家だったはず・・・。

ーーーーーー

この記事は、昨日の早朝に配信されました。
結構多くの方がこの部分に気付いて、twitterで拡散しています。

広報室サン、お仕事しないの?
久々に反論コーナーに追加出るかな~?
それこそ…
  • 大和三山
  • 2023-06-17 21:44
  • edit
地獄堕ちだわ‼
引用はじめ
【ミテコは洗礼は受けていません”と強調し、クリスチャンの親の葬儀も神道式にした正田家だったはず・・・。】

引用終わり。

キリストのいる天国にも、天照大神さまのいらっしゃる天上界にも逝けない。

地獄しかない‼

実の親に、自分の自己主張・見栄のため、地獄に落とした美智子婆‼

やっぱり、人間の形をした悪魔だわ‼
美智子がヒスっているかも
  • ガーネット
  • 2023-06-17 22:34
  • edit


https://www.youtube.com/watch?v=QXwAQ2Camjw
天皇皇后両陛下 インドネシアに到着


53秒あたりを見ると、
天皇皇后両陛下を迎える赤い絨毯に金の刺繍(?)が施されていますね。
そして儀仗隊(?)も整列している。

茶豚と小皿が空港に降り立った時、
これほど歓迎された事あったかしら?

この映像を見て小皿が
ほぼボケている茶豚は別として、
(アテクシの時より派手な出迎えされている!)
とファビョっていそう。
無題
  • NONAME
  • 2023-06-22 01:24
  • edit
すみません送信を押してしまいました。
平成時代にはローマ法王来日は無かったが令和元年の11月にローマ法王来日なさいました。その時に、皿様にロザリオのプレゼントがあったと思うのですが。
また、平成夫妻がローマに外遊した時に1千万円バチカンに寄付したそうですが、ローマ法王からお返しがあったと記憶しています。皿様はロザリオとお金をどうされたのでしょうね。私の記憶違いでしょうか。
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