文責が「特別取材班」では、あんまり信用ならないのだけれども、その信用ならぬ記事をさらに、あまり広く人々に知られて欲しくない
「さらに信用ならない」部分です。
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ある宮内庁関係者によると、家庭での悠仁さまは意志が強く活発で、動き回るのが大好き。さらに好奇心旺盛で、精神的にも物理的にも「曲がったことが大嫌い」なご性格だという。
「宮内庁の文化祭に信号機の模型や、昔の日本家屋のミニチュア作品などを出品されましたが、傍から見て『小学生だから、もっと適当でも』と思っても、ご本人は嫌なようで部品が少し斜めにズレているだけで許せない。ビシッと水平に修正されます。紀子さまや職員が手伝っているのは事実ですが、作品自体の精巧さは、悠仁さまご本人の性格から来るものです」(宮内庁関係者)
※適当と考えるのはたいてい大人で、小さい子って案外「きちんと」に拘るよ。
教えられたようにやらないと気が済まないんだね。時間に追われている大人がハラハラしているのにそっちのけ、というのはよくありますw意志が強いのとはまた違う。
ワクチン接種にあたって、ある宮内庁職員が悠仁さまに注射の仕組みを説明したことがあった。悠仁さまは目を輝かせながら聞かれていたという。その職員が「真皮の下に皮下組織があって、その下に筋肉があります」「注射針が血管に刺さると、こんな色になります」などと説明すると、その瞬間、悠仁さまは、「ちょっと待って!」と興奮気味に自分の部屋に戻られた。しばらくして持ってきた図鑑を開き、「今のは、ここの話?」と逐一、図鑑と照らし合わせながら確認されたという。
※怪我をした猫を保護するのではなく傷口広げかねない残虐性を感じました(ハッキリ言って)。スプラッターごっこに発展しなければよいのですが・・・
悠仁さま優秀説の真偽
今回の進学に関して世間が気にしていることの一つは、悠仁さまが提携校進学制度の枠に選抜されるほど本当に成績優秀なのか、という点だ。
3年前のお茶中入学式で、悠仁さまが新入生代表として挨拶したことが物議を醸した。代表挨拶は実に十数年ぶりのことで、学校側はその理由を「学業を申し分なく修め、豊かな人格的成長が認められる」と説明したが、保護者の間では「なぜ、悠仁さまが?」「もっと優秀な生徒はいる」との疑問の声が燻り続けた。
秋篠宮さまは昨年11月の誕生日会見で、「1年前と比べると、机に向かっている時間が格段に長くなっている」とわが子の成長ぶりを褒めた。この頃を境に2月の試験が近づくにつれ、秋篠宮家周辺やお茶大附属関係者から、「勉強を頑張っている」「中学に入ってから巻き返した」など“優秀説”が頻りに漏れてくるようになった。
「秋篠宮さまは近しい人たちに対しても、『息子が頑張っていて、好ましい』と褒められるそうです。その一つがまさに勉強に対する姿勢。中学生の男子ともなれば遊びたい盛りで、試験直前になって慌てて準備する子が多いはずだと。しかし悠仁さまは毎日コツコツ勉強して準備を怠らない。その点を特に評価されているそうです」(秋篠宮家関係者)
実際、お茶中関係者に話を聞くと、父親の言葉通り、普段の学校生活でも、悠仁さまは宿題を早めに済ませ、「もう終わった」と言っては友達を驚かせているという。授業の予習も欠かさない。教師に当てられても、動じることなくスラスラと答える姿が見られるという。
「トンボやバッタなどの昆虫をはじめ生き物がお好きなので、てっきり理系の勉強がお得意なのかと思っていました。ただ悠仁さまの学校生活を見ていると、実は“文系脳”のようなんです。歴史や地理などの知識が豊富で、さらに国語の成績も優秀。昨年12月に行われた期末テストでは、90点前後の点数を取っていたと聞いています」
生徒は自分の成績しかわからず、全員の順位は発表されないシステムになっている。提携校進学制度に関わる5教科9科目の内申点は、5段階評価で合計45点満点だが、「何点台のグループに何人」といった形で、分布図が貼り出されるだけで、悠仁さまの点数は他の生徒にはわからない。お互いの受験に差し障りがあるとの理由で生徒は志望校について話したり、合否を報告し合うことも固く禁じられているという。
※結局、大本営発表だけなので、巷ではほとんど「優秀説」を信じていない、お気の毒さま。
本当に優秀なら、キコの性格として報道規制なんかさせない。
敬宮さまのネガティブキャンペーンは怠りなくやるだろうけど、とって返して自分ちの息子の優秀さを売り込むに決まってる。
あと状況証拠としては、ズル仁の親も姉妹もみーんな出来が悪いのに、末子が「鷹」のわけはないのだ。
ただ、お茶中関係者はこう話す。
「お茶中は女子に比べて男子の成績は格段に落ちるんです。内申点の分布図を見ると、40点から45点のトップクラスは女子ばかりが占めています。男子は1番優秀な生徒でも、女子の30位の生徒と同じくらいの成績です。分布図で言うと35~40点の辺りに1人か2人いるくらい。だから、いくら提携校制度の枠が少ないからと言って、普段の勉強さえ頑張っていれば、男子の中で上位に入るのは、それほど難しいことではありません」
2月16日、筑附高の合格発表の日に報じられた「デイリー新潮」と「NEWSポストセブン」の記事は、悠仁さま“優秀説”に冷や水を浴びせるものだった。2021年に福岡県北九州市主催の「第12回子どもノンフィクション文学賞」で佳作に選ばれた悠仁さまの作文「小笠原諸島を訪ねて」の内容に、盗用疑惑があると指摘したのだ。
盗用疑惑を抑え込む
作文の中で、小笠原諸島の成り立ちを説明する記述が、『世界遺産 小笠原』(JTBパブリッシング)に書かれたものと酷似していたこと。また、サンゴ礁についての説明の箇所も2014年に「国立環境研究所」ホームページに掲載された研究者インタビューと似ていた。他の参考文献は記していたのに、この2つの文献は挙げられていなかった。
悠仁さまの合格を公表した皇嗣職大夫は、会見でこの問題について言及せざるを得なくなり、「悠仁さまは文献の記載が不十分であったことを確認した上で、指摘に感謝している」という趣旨の説明をしている。
宮内庁担当記者が語る。
「宮内庁側も事実を指摘されたので認めざるを得なかった。あくまでも15歳の少年のケアレスミスであることにして、両殿下もご本人も『感謝している』とあえて鷹揚な姿勢を見せたものの、思わぬ失態を取り繕おうとした印象は否めません。宮内庁としては、筑附の合格に影響が出ないように、もっと言えば、将来の天皇の汚点にならぬように傷口を最小限に抑えたかったのでしょう」
この作文は、2年生の夏の課題であり、学校の指導のもとで書かれた。「悠仁さまともう1人の生徒の作文がコンクールに提出されている」(同前)という。
悠仁さまの作文は佳作に選ばれたこともあり、提携校進学制度において内部審査の評価点として考慮された可能性が高い(お茶中広報も筑附高広報も「回答を控える」)。
「とにかく今回の進学に関しては、お茶中からも筑附高からも、経緯についての説明が少な過ぎます。成績優秀だというのなら、『成績が何位以内で、制度利用の基準を満たしている』という客観的なデータを示したらいい。それをしないから国民も納得ができず、『皇室特権』の疑念が燻り続けてしまう。
将来の天皇の受験は本来であれば、国家事業と言っても過言ではありません。私立の学習院と違って筑附は国立なわけですから、悠仁さまを受験で落とすわけにはいかなかったのでしょう。それならば『特別なお立場だから』と堂々と説明して理解を得る努力をすべきでした」(同前)
※「国立」だからこそ、公平・公正にするべし。
「国立だから」落とすわけにはいかないという理論はおかしいでしょう。妙な結論にムリヤリ持って行くな。
紀子さまの高齢出産
「あなたなら分かるでしょうけど、あの年齢で、子供を産むのはかなり大変なことだったので……」
今から10年ほど前、紀子さまは近しい人物にこう胸の内を吐露したことがある。悠仁さまのご出産当時を思い返しての発言だった。紀子さまはさらに続けて、「相当なプレッシャーだった」とも言われたという。
悠仁さまが生まれたのは2006年9月。当時のマスコミは「皇室41年ぶりの親王さま誕生」との見出しで大々的に報じ、世間は祝賀ムードに包まれた。
それから6年のちに紀子さまは、当時抱いていた苦悩を明かしたことになる。悠仁さまがお茶大附属幼稚園に通い、小学校への進学を控えていた頃のことだ。
紀子さまと話した人物が明かす。
「『大変』というのは、お世継ぎが生まれるかどうかというプレッシャーよりも、私の耳に残った印象では、ご自身が歳を取られてからの出産であったこと、つまり『高齢出産』への不安があったことを打ち明けられたと受け止めています」
※雅子さまも高齢出産、自分だけ被害者づらするな、ゴキ。
紀子さまは、悠仁さまを39歳で出産された。医学上は35歳から「高齢出産」と呼ぶため、悠仁さまのご誕生も該当する。また、次女の佳子さまをお産みになってから12年の歳月を経ており、子育てに対する不安もあったのだろうとこの人物は話す。
「紀子さまのお話には、皇太子ご夫妻(現天皇皇后両陛下)に男子が生まれなかったために、自分たちがその役割を担うことになったことの『大変さ』というニュアンスも含まれていました。生まれて来る子供の皇位継承の重責を思うと耐えきれない気持ちがあったはずです。私が尋ねたわけではなく、自然にそんなことを語られた。誰を責めることもできない、そんなやり場のない苦悩を抱かれていたことを吐露されたのです」(同前)
※へ?ズル仁君が生まれてからもしばらく、皇太子ご夫妻に男子が誕生するかも知れないという期待を国民は持ってましたよ。なんでそんなに焦って「皇太子ご夫妻には男子は生まれない」と決めつけるんですかね?女性天皇へと典範改正の舵が切られたから焦ったんでしょ?要するに皇統を分捕りたかったんですよ、アキシノ夫婦はね。
2003年6月に、当時の湯浅利夫宮内庁長官は会見で、「(皇太子ご夫妻に)もう1人ほしい」と発言。さらに同年12月には「(秋篠宮家に)3人目を強く希望したい」と発言したことが波紋を呼んでいた。
「当時の皇室は、お世継ぎ問題をめぐって非常に切迫した状況にありました。とくに上皇陛下(当時天皇)はとても心配されていたようで、夜も眠れずに頭を悩ませ、寝返りを打ってばかりいたとの話もあるくらいです」(宮内庁担当記者)
秋篠宮ご夫妻は、自分たちは一宮家に過ぎないため、皇太子家に次代の皇位継承者が生まれるのが望ましいとの想いを抱いていたという。しかし、2001年に愛子さまが生まれて以降、皇太子ご夫妻にその兆候がなかった。数年間、秋篠宮ご夫妻も辛抱強く待ち続けた。だが、がんと闘いながら皇室の将来を憂い続ける上皇陛下の姿を見かね、遂に「子どもを作っていいでしょうか」とお伺いを立てたうえで、お許しを得たという逸話もある。
※「逸話」と書かなくちゃいけないところがつらいわね、文藝春秋。
皇太子は結婚出来ない→ため息が出るような才媛かつ美女のお嫁様がいらした。
皇太子に子どもができない→女性天皇を認めるようにしてマコどんを天皇にしようと4Gが決めた→皇太子家に天照大御神のオーラを持った姫御子ご誕生
正義は勝つ!ざまぁ!
流産のケースも想定
ご懐妊報道の直後、40年以上にわたり皇族の出産に携わってきた医師の故坂元正一氏(東大名誉教授、元宮内庁御用掛)が小誌の取材に対してこんな証言をしていた。
「紀子さまに妊娠反応があったとき、超音波で検査をすると妊娠6週目くらいだと分かり、宮内庁長官などに報告をしました。紀子さまはお子さまを2人出産されています。しかし我々は過去に、それでも流産するケースを経験している。雅子さまの前例もあるので、整理して考えなければいけません」
※そうよー、だから皇室ではご出産は安定期を待って発表していた。
なんで、キコだけ6週で発表するの?
小泉政権下での典範改正潰しに決まってるじゃないの!
男の子であれば、待望のお世継ぎ誕生となる。美智子さまの信任が厚かった坂元医師が呼ばれ、東大や東京女子医大の愛弟子たちを中心とした医師団が結成された。そして愛育病院で、悠仁さまが誕生されるまで緊迫したムードが続いた。
「かつて美智子さまは浩宮のことを『あづかれる宝にも似てあるときは吾子ながらかひな畏れつつ抱く』と、将来の天皇を育てることへの厳粛な気持ちを和歌に詠まれました。悠仁さまがお生まれになり、おそらく紀子さまは図らずも、皇室の命運を託された皇族の一員として、同じご心境になられたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
紀子さまは皇室に入って以来、美智子さまを模範としてきた。子育てや側近への指導のみならず、時には服装や声音にまで及んだ。それは、重責に耐えるための支えであったのかもしれない。
天皇からのメッセージ
秋篠宮ご夫妻は、生き物が好きな悠仁さまの希望を叶えるため学習院ではなく、農学部がある大学に進学させたいとの希望をお持ちだと言われる。しかし、その条件に合った大学を都内で探すとなると、東大や東京農大などに限られてしまう。
※ゴキはなんで「東京農大」はイヤなんでしょう?
父親も叔父も先生してる大学なのに?
「秋篠宮家が皇嗣家になるにあたって、大幅に職員も改変されました。人事選考はその1、2年ほど前から行われ、秋篠宮ご夫妻のお眼鏡に適わないとすぐさま不採用となる厳しいものだったようです。ただ、ある職員だけは書類段階から高評価で、秋篠宮ご夫妻が面談した瞬間に採用が決まった。その人物は、筑附高から東大という学歴の持ち主でした。面接の際に、紀子さまが『筑附ご出身なの?』と聞かれたようです。将来、悠仁さまが筑附高から東大に進学されるのを目指す際に、その人物から助言を得られると思われたのかもしれません」(秋篠宮家関係者)
生まれながらのお世継ぎであることは、今上陛下も同じだった。筑附高の合格発表から1週間後の2月23日、天皇陛下のお誕生日会見が公開された。
※おい、どさくさに紛れて「生まれながらのお世継ぎであることは、今上陛下も同じ」とはなんだ。今上陛下は「昭和天皇」「アキヒト皇太子」と続く皇孫。ズル仁は「生まれながらのお世継ぎ」ではない。
「天皇陛下は、皇位継承の問題について問われ、かつてご自身が後奈良天皇や嵯峨天皇の筆写した『般若心経』をご覧になった思い出を踏まえて、歴代天皇のなさりようを心に留めたいとお話しになった。過去にもされた話ではありますが、あえてこのタイミングでお話しされたことに深い意味があると思いました。
ご本人の皇統に対する厳粛な気持ちを明かされたのと同時に、秋篠宮家へのメッセージでもあったと思うのです。つまり秋篠宮家では悠仁さまに対して、過去の天皇の事跡を学ぶ帝王教育をしている形跡がない。そのことを憂慮されていると私は受け止めました。もし東大を目指すならば、より一層、受験勉強に時間を取られ、将来、本当に必要なことが学べなくなる。それは悠仁さまにとって一番お可哀そうなことです」(宮内庁担当記者)
※東大目指すなら目指してもかまわんよ。公明正大に試験受けて入れ。それなら天皇として十分である。受験勉強を集中してやるということは、とても大変なことなのだから、その結果が立派に実れば帝王学にも通じるところがあるというものだ。しかし、ズル仁は、東大受験以前に、天皇として学ぶべき必要なことを全然学んでいないんだから。中学卒業の年の坊主が、親に言われたのか、重そうなリュック背負って、一般入試受けるフリだけしに出かけたんだぞ?
自分の行為の意味をわかってるのか?わかってないのか?どちらにしてもそっちの方が大問題でしょう。たかが記者風情が「オキャワイソー」と言うことではないんだわ。
まるで運命に導かれるかのように筑波大学附属に進学される悠仁さま。春からの3年間の高校生活をどのように過ごされるのだろうか。
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さーて、ここで私が一番の問題点だと思うところを載せときます。
こういう姑息なことをやるメディアがあるから、アキシノ一家はまだたかをくくっているのだと思います。
そしてアキシノ一家はめげることなく、一家全員、「ズル」の手をずるずるとのばしていくでしょう。
今回、文藝春秋は、今上陛下のお言葉を「ズル仁」に合せるように剽窃し、勝手に意味を変えています。
かつての天皇が「般若心経」を筆写したのはなぜなのか?
実際には、今上陛下はどのような質問にどのようにお答えになられたのか?
真のうまれながらのお世継ぎは、歴代天皇のご事蹟を丁寧にあたり、我が身に取り入れられ、研鑽を積み、天皇になられたのです。
筑附の東大のという問題ではないのです。
そして筑附や東大にズルして入るなんてことは全くの問題外。
よく読め、宮内記者ども!
問4 政府の有識者会議が報告書をまとめ,皇族数の確保策として女性皇族が結婚後も皇室に残る案と,旧皇族の男系男子を養子に迎える案の2つを示しました。一方,皇室の歴史を振り返ると,過去には皇位を巡る危機的な時期が幾度もあり,そのたびに乗り越えてきた経緯があります。歴代天皇について深く学んでこられた陛下は,今日まで皇位が連綿と継承されてきた長い歴史をどのように受け止められていますか。
天皇陛下
皇室の歴史を紐ひも解くと,皇位が連綿と継承される中では,古代の壬申の乱や中世の南北朝の内乱など皇位継承の行方が課題となった様々な出来事がありました。そのような中で思い出されるのは,上皇陛下が以前に述べておられた,天皇は,伝統的に,国民と苦楽を共にするという精神的な立場に立っておられた,というお言葉です。このお言葉に込められた思いは,ひとり上皇陛下のみのものではなく,歴代の天皇のお考えに通じるものと思います。平成28年に愛知県の西尾市を訪問した折に岩瀬文庫で拝見した戦国時代の後奈良天皇の宸翰般若心経しんかんはんにゃしんぎょうは,洪水など天候不順による飢饉きんや疫病の流行で苦しむ人々の姿に心を痛められた天皇自らが写経され,諸国の神社や寺に奉納されたものの一つでした。その後,京都の醍醐寺では,後奈良天皇の般若心経を拝見し,奥書に「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず心を痛めている」旨の天皇の思いが記されていました。さらに大覚寺でも,嵯峨天皇のものと伝えられる般若心経や,後光厳天皇,後花園天皇,後奈良天皇,正親町天皇,光格天皇が自ら写経された般若心経を拝見しました。このように歴代の天皇は,人々と社会を案じつつ,国の平和と国民の安寧のために祈るお気持ちを常にお持ちであったことを改めて実感しました。また,武ではなく文である学問を大切にされてきたことも,天皇の歴史を考えるときに大切なことだと思います。例えば,鎌倉時代の花園天皇が皇太子量仁かずひと親王に宛てて書き残された,いわゆる「誡太子書かいたいしのしょ」においては,まず徳を積むことの大切さを説かれ,そのためには道義や礼儀も含めた意味での学問をしなければならないと説いておられます。このような歴代の天皇の思いに,深く心を動かされました。私は,過去に天皇の書き残された宸翰などから得られる教えを,天皇としての責務を果たしていく上での道標しるべの一つとして大切にしたいと考えています。そして,その思いと共に皇位を受け継いでこられた,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,研鑽さんを積みつつ,国民を思い,国民に寄り添いながら,象徴としての務めを果たすべく,なお一層努めてまいりたいと思っています。
※壬申の乱が出てきてますぞーw
アキシノの首を(以下略)